独白 ポピュリズム傾向をもっと批判するべきなんじゃないの?

ネット○○派 part424 - 今日の雑談
つづき。
片山さつきに人権思想を教える上から目線の愚かさ

片山さつき」という名前を伏せて、「東大法学部卒で大蔵官僚経験者」という人物にルソーの人権思想を教えてあげよう、という気になりますか?
普通なりませんよね。自分より詳しく知ってるだろうと思うから。
でも「片山さつき」という名前を出した途端に、小学生を相手にしたときのように上から目線になるネット民が多いですね。
まあ成蹊大という金さえあれば馬鹿でも入れるお坊ちゃま大学卒の自民党総裁に対してなら上から目線もわかりますよ。
でも東大法学部卒が人権論を知らないわけないんですよ。当然知ってて言ってる。
なぜか?
そうした言説が大衆や自民党幹部にウケがいいからです。それが出世への道だからです。

そう、問題はそこだと思うんですよ。


だからいくら「片山さつき」の言っていることが無茶で、それを批判する人たちの言い分が正しいとしても、「それがどうしたの?」ということにしかならない。本来批判されるべき対象はもっと別のところにあるんじゃないの?って。


でもそういう反省はされないから、結果的にはアホな自民党議員としての「片山さつき」を散々罵倒することで自民党叩きのネタとして消費されて終わるだけだ。。。まるでニセ科学批判と同じだ。


ネット右翼だってこれと同じことを「中国」「韓国」「在日」「創価」云々に対してやってるわけで。

・・・

ようは、みんな同じことをやっていて、ある問題や対象について、多数派を形成してそして他人と、つまり「みんな」で安心してその対象を叩くとか批判するとかして、自分を全く「正しい」位置におこうとするゲームをやっているに過ぎない。。。


その極端なのが橋下・維新の会で、確かに行革や緊縮財政のためには多少の無理は必要かもしれないが、彼(ら)がやってきたのは、


ある対象を批判・罵倒し

その批判をテレビで繰り返し流させ

それが受けなければスルー、受ければさらに執拗に煽り

世論を動員して無理を通して道理を引っ込ませる。落とし所は「現実的」だとして称賛されるが、最初の罵倒や無茶な批判はみんなスルーして忘れてなかったことにする


・・・というようなことの反復しかやらない連中が、衆議院で、、、本来はゼロ議席であるべきなのに、、、50議席もとりそうだというのは、これはどういうことかというんです。


しかも、


同じようなこと、似たようなことは橋下維新の会のみならず、他の政党だけでもなく、とりわけネットではありとあらゆるところで行われている現状で誰が、


橋下・維新の会のポピュリズム


が批判できるのかと。橋下の対抗に平松邦夫しか持ってくることができない左の連中にポピュリズム批判なんかできるわけがない。


おぬしら、ポピュリズムしかやろうとしてない、やってないではないか、むしろそのポピュリズムを「国民目線」「民意の表れ」等々と言った言葉で積極的に評価しかねない愚劣さじゃないか。


「大衆の受け」を露骨に狙う片山さつきを本当に批判できる人が、一体どれだけいると言うのか。自分らだって「受け」しか狙ってないのに。

・・・

本来批判されるべきなのは、みなが志向している


ポピュリズムそのものの言動


であって、その認識や知識の誤りへの批判なんて、ささいなものでしかないんでないか。


そこが批判されない限り、別の「維新の会」も出てくるだろうし、何度政権交代したってうまくいかないんだろうと思う。


追記
話の噛み合わない馬鹿なコメントする奴〇ねよ
これは面白いんだけど、まあ僕もバカな低能なことを書きますとね。


「片山がわかっててやってると感じてても片山以外の人間に周知する為に書いてるのもいる」だろうというのは僕もそう思う。


ただ、問題は、、、、これは「片山さつき」だけじゃなくて自民党改憲案ネタもそうなんだけど、、、選挙のときに自民党叩きが出来る格好のネタとして「人権」の話が持ち出されている部分があるだろうってことでね。


そういうことになるのも、基本的にネット民はそれなりにレベルの高い人たちが多いってことの一面だったりするだろうと思うんだけれども、でもこれって自民党の議員の放言をみて「そうだそうだ」という人と、基本的にはやってることが同じなんじゃないですかと。


認識を正そうとか正しい理解をしてもらいたい、正しい情報を知ってもらいたいというのはいいですよ。でもそこにとどまらないですよね、普通は。


ようは、右にしろ左にしろ、どういうかたちでもいいけど、適当に動員されてるだけなんじゃないかって。