黙っていられないこと part14
人間は神様ではありませんから、客観性を保つのだと言っても完全には不可能だ、というのは分かり切った話ではあります。
でも、つらつら考えていて、自分が引っかかっているのはこういうことなんだろうな、とも思いました。
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ニセ科学批判は、科学の分野に、露骨に道徳や政治性などを混ぜ込んでいき、批判対象の選定でも極めて主観的に行われているにもかかわらず屁理屈を付けて正当化していることが全く気に食わないのです。
他方で橋下の一件の場合だと、実に多くの人が「自分は橋下を必ずしも支持するわけではないが」と言いながら、週刊朝日を批判していました。そしてそれ自体は極めて正しいわけです。あるいは客観的かつ公平な態度を取ろうとした結果だ、と言えると思います。
ところが、差別に関する問題は実に幅広いし根が深いことは言うまでもないことで、たとえ目立たなくても、こういうことを一つ一つ掘り起こしていってきちんと批判してきただろうかというと、それはまことに心もとないわけであります。もちろん、私もそうです。
そう考えた場合、はたして橋下に対する反応が本当に公平であり、あるいは公正であったのかどうか、それは微妙な問題になるのではないか。
本当にそこでは公平性が確保されていたんだろうか。客観的だったんだろうか。
むしろ、見かけ上の客観性が、気持ちよく人々を騙していっているのではないだろうか。
そういうことを、少し考えています。