扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part67

http://anond.hatelabo.jp/20120905045241

自分に関わるところだけ、反応しましょうか。と言って、よく読んでくださってるので、有難いわけですが。

勝手に他人の代弁をするのも何ですが、id:jura03氏やhamachan氏らが批判しているのは、リフレ政策そのものではなく、「リフレ派」の党派性であるように見受けられます。

全くその通りです。私だって、できることならインフレ政策リフレ政策をやってもらいたいと願っています。


ただし、リフレ政策に関わるところでは、たとえば日銀法の改正だとか「政府が物価上昇率目標を定めて日銀がそれを達成するのが当たり前だ」等々の話になるとウッソーとも思うし引いてしまいます。あと、日本のようにインフレフォビアがきつい国で、本当に政治家の皆さんは責任取って腹括ってやれるんでしょうね?という実現可能性についても疑問を持ってはいます。


とはいえ、デフレよりもインフレがいい、できることならインフレにしてもらいたいというのが広い意味の「リフレ派」であるとするならば、そういう意味では私もリフレ派に入れてもらって結構です。

なぜこのような便宜主義的な使い分けが生じてしまうのか、これはまさしく党派性の帰結でしょう。「リフレ派」は党派的だと批判されれば、リフレ政策以外についてはコンセンサスがないんだから党派的であるわけがない、と反論なさる。どう見ても党派的な行動をしている高橋氏を例に、そうはいっても党派的じゃないかと言われれば、彼は「リフレ派」ではないと切断操作をする。そこに一貫しているのは、唯一、「リフレ派」というラベルを守りたいとの意思のみであり、すなわち党派性です。

そういうことですね。「リフレ派はリフレ政策以外にコンセンサスがない」という建前そのものがもはや空虚になってる。


・・・ちょっと脱線しますけど、ニセ科学批判もこの手の空虚な建前は言います。たとえばニセ科学の「グレーゾーン問題」で、何が黒で何が白か決められないグレーの部分はあるので、黒白二元論はとらないが、「真っ黒」なものはあるはずだ。それだけを取り上げるんだという。ところが「真っ黒」とそれ以外を分ける時点でかなり二元論的だし、そもそもなにが「真っ黒」かを判断する時点で恣意性が入りこんでおり、この種の建前の実質がすでに失われてしまっています。でもニセ科学批判の人ってこの種の建前を素朴に信じてるんですよ。そう言えば、「合理性に欠けているものならば、右でも左でも何でも批判する」と豪語した人がいたけど、おそらく実際はそんなことは決してないはずです。


リフレ派も、この種の美しい、しかし空虚な建前が信じられていますね。

id:jura03氏に関しては、高橋氏や田中氏らの言動そのものを問題視することに加え、それを黙認している周辺にも批判は及んでいます。つまり、受動的な党派性の問題。id:jura03氏が一貫してご指摘なのは、彼らと同一視されたくないなら、同一視している人間におかしいというのではなく、同一でないことを身を持って示せ、ということと理解しています。

おっしゃる通りです。変な連中と同一に見られたくないなら「あいつらはおかしい」と言わないといけないのに、たとえ相当おかしなことを言っていてもリフレ派を主導する人たちだからと生ぬるく容認してしまっている人が多すぎる。これが党派性の発露でなかったら何なのか。あるいは、私流に言えば「ネット○○派だ」ということになるわけですが。


もっとも、これはある意味で内ゲバの推奨であるのかもしれません。が、身内の批判に耐えられないなら内ゲバのはてに自滅してもらって結構でしょう。私は経済学はよく存じませんが、リフレ論そのものはそうそう簡単に自滅しない程度ではあるんじゃないの?という感じはまだもってるし、そこは専門家の間できっちり議論してもらいたかったんですが(あえて過去形)。


まあ、無理そうですけどね。引き合いにだしておられる岩田規久男先生にしたって、日銀の審議委員やるより学習院大学の先生やっときたいとか言うんだから。そりゃあ、実現可能性についてかなり悲観的にならざるを得ないのは致し方がないところだし、そこはリフレ派の皆さんも率直に認めるべきだと思う。無駄に実現可能性があると信じるから、余計に煽られる人が出てくるわけだし。


他方で、実現可能性がありそうなリフレ政策をずっと考えて書いておられたのがBewaadさんであり、そのBewaadさんがリフレ派の信頼性にかかわるからと、変なことを言う人たちを批判していたんですが。。。リフレ派の皆さんがBewaadさんを追放しちゃいましたからね。

昨今のいじめ問題においても、直接いじめに手を染めた者だけでなく、それを傍観していた者もまた、ある意味いじめに加わっていたのだと言われます。かばう、いじめるなと言う、誰か大人に相談する、etc...といった行動に出なくては、「自分はあいつらとは違う」と言っても通用しないのではないでしょうか。

そういうことですね。