ネット○○派 part403

“りふれは”のことかと思った。 - vgobpaの日記

“りふれは”は、歴史修正主義松原仁には何にも文句を言わないのに、リフレ政策自体には反対していないhamachanにはえらく冷淡な対応をとる。
どうみても歴史修正主義の方が大問題だろ。まして松原仁は政治家でデフレ脱却議連の代表もしているのに。


私自信は松原仁や金子洋一も、構造改革シバキアゲの高橋洋一も全部嫌いだけど、リフレ政策支持の一点だけでよいといのがリフレ派だ、というのなら納得はしたい。だが実際は、リフレ政策支持でも増税社会保障充実派のhamachanには冷淡な対応をとるのが“りふれは”。(ちなみに、私もhamachanと同じく増税社会保障充実派。)


歴史修正主義構造改革シバキアゲとは「一緒に進む」にの、増税社会保障充実派とは「別個に進む」のが“りふれは”。
すべてと「別個に進む」のならまだ理解できるんだけど、これでは理解できない。

。。。と、まあ、かくして、右も左もなく、左右共闘しようという建前はもろくも崩れ去るわけです。


右も左もない、左右共闘する、リフレ支持だけでいいんだという建前で、その実態はそうじゃないというダブルスタンダードをやっている。ニセ科学批判も同じで、単に科学のためだとか間違いを指摘してるだけだといいながら、それは建前に過ぎず実態はホメオパシーは叩きながら漢方鍼は擁護するわけで、もうシノドス界隈のこれって何なんでしょうね、と思うわけです。

私は、脱原発派だけど、安全対策をした上でとりあえず再稼働して、新規原発の建設をやめて数十年掛けてやめればいいんじゃないかと考えている。
数十年かければ、さすがに太陽光発電なり風力その他の技術革新で原発なしでもやれるんではなかろうか。

今のご時世、これを真顔で言うと「電力会社のまわし者」「原発推進派じゃないか!」という話になります。


で、問題はですね。。。
ネット○○派 part402 - 今日の雑談

というのもよくよく考えると、「現実的脱原発派」なるものの傾向を考えると、目先の部分だけを切り取られれば、見ようによっては「原発推進派じゃないのか」などと言われてもむべなるかなという側面はあるんです。


つまり、ある態度に対してはどうとでもレッテルをはりつけられるんだから(もちろん、私が使っている「ネット○○派」というのも、便利だからこう言っているに過ぎない)、いちいちむきになって「自分は現実的脱原発派」などと言い訳する必要性も必然性もなく、堂々と「あなたがそうおっしゃるなら自分は原発推進派でも構いませんが、それが何か?」と言ってやらねばならない。でも、そんな人は少ない。


そういう形で、結果的には「脱原発派」内部の批判を避けてしまっていて、、、「批判を許さぬ論理」の黙認をやってしまっている。そして「脱原発派」内部の批判が利かなくなる方向へと進むんだけども、そこまで考えている「現実的脱原発派」の人たちはおそらくかなり少ない。

別に個人を批判したいんじゃなくて、非常に多くの人に同様のことが見られるのでやっぱり言いたいんですが、自分が「脱原発派」だというエクスキューズを置くことで、結局問題から逃げてるんだという面が、あるように思います。これはもう非常に多くの人がそうです。逃げてる。
“りふれは”のことかと思った。 - vgobpaの日記

もちろん、経済への悪影響を我慢するならば、再稼働なしでもやっていけるかもしれない。トレードオフなわけ。
私は経済への悪影響を心配するからとりあえず再稼働して徐々に減らせばという立場なだけで。
火力発電の燃料費に一年で3兆円かかっていると言う話があるけど、それなら原発をすべて再稼働して、浮く燃料費数兆円を全部被災地に回せばとか思ってしまう。

私も全く同様に考えるんですが、そこで「お前は脱原発じゃない」「原発推進派だろ」と言われたら、「ええ、あなたがそうおっしゃるならそれで結構ですが、それがなにか?」と言わねばならない。そう言わないと、結局おかしな人たちを黙認することになってしまう。


リフレ派は、内部で批判をしないので「リフレ派」でまとまってるような気分をつくればそれでよかった。他のネット○○派でも同様だけど、それは「脱原発派」でも状況はおそらく同じで、ここは内部で批判しなければならない。あまりに現実離れした脱原発は無理だと。