扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part60

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近頃わざと忘れて語る人が多いけれど、民意は間違うんですよ。歴史的に見ても、バンバン間違っている。しかも、平気な顔してその間違いを忘れてしまう。

まあ小理屈はともあれ、社会には民意によって安易に改廃できないチャネルを持っておくべきだというのが、僕の考えです。

民意は間違うんですよ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

わたくしはむしろ、「民意」を週刊誌レベルワイドショーレベル行列のできる法律相談所レベルの脊髄反射的「民意」としてではなく、それなりの知識と経験を踏まえてものごとを考えられる「濾過器」を通した反省的「民意」として政治的議論のアリーナに持ってこれるような仕組みの確立が必要なんだと思うわけです。


それが壊れかけてしまっていることが、今日の週刊誌レベルワイドショーレベル行列のできる法律相談所レベルの脊髄反射的「民意」の氾濫を招いているわけで。

私流に言えば、そのいい加減な「民意」を善導する人、それをするにしかるべき人たちというのがいるわけで、その一翼を担うのがインテリや知識人だったりするはずなんだ。そのためにわざわざ大学で税金使って相当の教育を受けさせてもらってんだから、とまで言っては言いすぎかもしれないが。


ところが、そういう人たちが全く無責任で、いささかなりとも責任感を感じているとはとても思えない言動を繰り返している。あんたの言葉一つで、あんたを信用してくれている善男善女の気持ちが動くかもしれず、ひょっとしたらその人の人生が左右するかもしれないんだという恐れを全く持ってない。


「民意」を善導するべきはずの人たちの多くは責任感どころか、もうまったく、善男善女に対する受けしか考えてない。テレビに出て目立つことしか考えてない。その方が儲かるから、ビジネスだから仕方ないよ、俺だって食わなきゃならないし家族もいるんだ、ということなんでしょうが。



そうなると、「民意によって安易に改廃できないチャネル」「それなりの知識と経験を踏まえてものごとを考えられる「濾過器」を通した反省的「民意」」を持とうという責任や意欲はもとよりなく、「週刊誌レベルワイドショーレベル行列のできる法律相談所レベルの脊髄反射的「民意」」が増幅するばかり。


他人の責任を追及するばかりの今の日本と日本人だけど、そうやって責任追及して正義の味方のツラをしている人の責任というものを、もっと問うた方がいいし、問うべきだと思うんだが。