不当表示としての「リフレ派」 part3

冒頭に書いてあるように「いい加減」を標榜しながら最近こういうことを書いているのは、日本でみんなの党や維新の会あたりが政治的に影響力を持つような政治状況をもう絶対に見たくないから。それに尽きる。


別に右でも左でもいいんですよ。小さな政府がいいという意見でもいいですよ。個人の自由だから。たびたび引用するwhat_a_dude さんと私は、全体としての政治的傾向から言うとたぶん反対。


その上で、みんなの党橋下徹・維新の会あたりが無駄に政治的影響力を行使できる状況は、もう絶対に見たくない。そのために、遊女の誠なみにありえなさそうな、既成政党のみなさんの「誠実さ」まで求めている。。。そりゃ、こんなブログなんぞ誰も読まないだろうけれども。


政治ネタが絡むと面倒くさいので、この数年ずっと避けてきた。それでもこういうことを書きたくなるのは、、、と、ここまで打って、ふっと、Bewaadさんの次の一節を思い出した。なぜ人権擁護法案反対運動をBewaadさんが「嫌い」かという部分。
archives of bewaad institute@kasumigaseki(2005-03-29)

オールドリベラルを自認するwebmasterとしては、今回の法案には反対で、もっと言えば名誉毀損や侮辱にしてもまずは対抗言論をもってすべきであろうと考えているわけですが、多くの人権擁護法反対論はそうした抵抗感を乗り越えてあまりあるほど嫌いだから批判しているのです

なぜ嫌いかと言えば、端的にはやり方が汚いからです。

最後に、反対派の中には、人権擁護法は現代の治安維持法人権委員会人権擁護委員は現代のゲシュタポ特高と称すべきものだとの言論が散見されますが、独断と偏見であると断った旨であえて申し上げます。

「反対論に見られる在日韓国・朝鮮人解同・部落出身者、創価学会に関する陰謀論の多くは、「我が闘争」におけるユダヤ陰謀論に極めてよく似ています。」

陰謀論の対象がマイノリティでないだけ、朝日新聞などの「軍クツ」論や行政不信論の方がよほど罪が軽いと言えるでしょう。

webmasterは、ここまで述べてきたような主張をする人々のことが嫌いですので、それが反対論の中の少数派に転じない限り、反対論批判派のスタンスを変えるつもりはありません。そうした主張が普及することの不愉快さに比べれば、人権擁護法が成立することの不愉快さなど、比較にならないほど簡単に我慢できますから。

これが書かれたのは2005年3月29日。その後、この種の右翼のネット上の煽りに乗ったまま遠くに飛んで行ってしまった人たちは、在特会あたりの活動につながっているんでしょうね、おそらく。


今はこの種の人たちはもはやネタにしかならないが、さてこれに代わって出てきたのは、あまりにも安直な官僚叩き・公務員叩きの類で、こういったことが語られる時に常に付きまとうありがちな霞が関陰謀論とともに、私は全く許容することができない。


もっとも問題点の指摘や批判、あるいは個人の政治的傾向が「小さな政府志向」だというのなら、全く問題ない。


でも、現実にはもうとっくにそんな限度は超えてしまっている。最近話題になったなかでは、首相官邸のサイトがたかだか4500万円程度であるという、たったそれだけのことが批判対象になってしまうのは、あるいはこんなネタに釣られてそうだそうだと言いたがるのは、「小さな政府志向」だからではない。憎悪の対象をそちらに向けてるだけで、かつてネット右翼人権擁護法案反対運動が憎悪の対象を「在日韓国・朝鮮人解同・部落出身者、創価学会」に向けたのと全く同じ心性だと私は思います。


さて、話を戻して、もちろん、橋下徹・維新の会やみんなの党あたりの主張が変だとか、高橋洋一の言っていることが無茶苦茶だということを一つ一つ言うことも必要。そこは理屈の世界。


感情の世界としては、こんな人たちが政治のキャスティング・ボートを握るとか、ちょっといい加減にしてくれと切に願うところ。永田メール事件並みのことを維新の会はやらかしておきながら、開き直って「朝日新聞はなんだ」「責任者出てこいや」と言い続ける橋下徹は大嫌いだ、あんなポピュリストにすりよっては人々を煽る高橋洋一なんて大嫌いだ。


そして、こんな状況を黙認するインテリや知識人、それなりに高学歴で高等教育もうけているはずの連中が、一番嫌いだ。

追記
某所のコメント欄を見て思ったんだが、そもそも首相官邸ホームページ4500万で騒いでる人らって、官公庁のサイトをあんまり使ってないんじゃないか?私はちょくちょく利用させてもらってますよ。米国のホワイトハウスのサイトなんてカッコいいから、日本の首相官邸のサイトだってあれくらいやればいいのに、やればできるだろう?と思っているくらいだ。