ネット○○派 part385

ネット○○派 part384 - 今日の雑談
自分で読んでも変なもんだなとあとで思ったんだけれども、リフレ派は高橋洋一が一枚絡んでいるので、「リフレ政策を構造改革やら清算主義などが猖獗を極める中で提唱した理由は、感情やイデオロギーによって盲目になることへの警告だった」という銅鑼衣紋さんの考えが今となってはどこかピンとこない感じはする。


でもたしかに、元々はそうだったような記憶はあるし(といっても、私の場合はそこまで昔にさかのぼれない)、そうだったと思う。


・・・つまり、これは結果的にということでしかないのかもしれないけれど、高橋洋一がリフレ論に絡んだとか、小泉政権後半がリフレっぽかったとか、そういう部分から既に相当ねじれていた、のかもしれない。


で、この辺りまでも「リフレ論は非党派的主張だ」といってねじ伏せることが本当にできるかどうか、そこははなはだ疑問で、リフレ論は、というかリフレ論を論じる人たちはいい加減だったのかもしれないなとちょっと思った。


あるいは、銅鑼衣紋さんは東日本大震災を経験なさらずに亡くなったわけだけれども、もしこの状況に接していて電力供給などの問題で仮に意見が割れた場合、それでも「非党派的主張」で押し通せたんだろうか。


かなり根本的な部分の矛盾については、どっかで整理しないと「非党派的主張」で押し通せるわけがないと思うし、整理すべきだと思うわけだけれども、現実にはそうなっていない。

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このあたりはニセ科学批判も全く同様で、それ自体は反論できない議論をして、また絶対に負けない議論を組みあげて、「批判するのは当たり前」とやるわけだけれども、科学上の正誤の議論と世間の道徳の議論と一緒にしてしまったために、根本的なところで矛盾しててもそれは放置して見て見ないふりをしている、ということはもう何度も書いてきたところだ。


ホメオパシー批判ならば科学上の正誤の議論でつっつくならば漢方や鍼は擁護できないし、世間の道徳の次元でつっつくならば消費者問題かなにかになって「じゃ、なんで科学が云々科学哲学が云々って話を持ち出すの?」ということになる。


でも、この種の根本的な矛盾は放置されたまま、「ホメオパシーはよくない」でそのまま突っ走る。

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僕はちゃんと追ってないのでリフレ論の最初のほうはどうなっていたのか知らないが、「非党派的主張」と言うのはそうだったとしても、そこに安んじてしまった部分が、どうもかなり早い段階からあったような気がしてならない。


少なくともリフレ論を現実に落とし込むときに、「非党派的主張」一本ではうまくいきそうにはない。この辺りを、やはり甘く見過ぎていたんじゃないか。あるいは、現実に落とし込むことの難しさが、銅鑼衣紋さんにとってリフレ論が当たり前すぎて、あまり見えてなかったんじゃないか。