ネット○○派 part384

最近、リフレ派の人がやたら竹中平蔵を持ち上げているような気がするので、ちょっと思うところあって確認してみた。記憶では、昔は竹中さんや小泉構造改革路線とは反対だったはずで、ただ小泉政権の後半にリフレっぽくなったところは認める、というのがリフレ派の元々のスタンスだったのではないかな、と思ったので。


たとえば、銅鑼衣紋さんと思われる人のコメントにこういうのがありますね。
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1516/11

11: ドラエモン  2009/09/12(Sat) 12:17  
>>08
党派性とか言われても困るなぁ(笑)90年代以降の長期停滞の原因がなんだろうと、デフレである限り強力な金融緩和が必要であり、局面によっては財政出動も必要だとし、そうした政策はインフレ率が(僕の場合は)2〜4%の範囲に入るまでは断固として維持するというだけが、いわゆる「リフレ派」の定義だと思うけど。すくなくとも、ここではね。こんな非党派的主張も少ないと思うけどw


で、竹中氏だが、少なくとも例の「闇夜への跳躍」論文にあるように、小泉政権の前半期には、はっきりと反拡張政策であり、つまり反リフレであったのは明らか。これには議論の余地はない。


だが、後半期になると、おそらく国内では高橋さんだけだろうけど、海外のマクロ学者の大部分の意見を無視できなくなり、「需給ギャップはないけどデフレは悪い」なんていう無茶苦茶な論理(だが、そう言わないと過去の自分を否定することになる)で、リフレに賛成・推進する側(ただし、おそらく財政支出には反対だろうけど)に転向しただけでしょう。


まあ、もう政治的には存在しないのも同じだから、過去の主張を理由に批判してもあんまり意味ないでしょう。小泉構造改革vs守旧派とか言ってるうちに自民党が消滅のききだからねぇ。

この書き込みだけじゃないんだけど、今見ると銅鑼衣紋さんもこう、書き方にもにょる部分があるというか、なんというか。リフレ派がこうなってしまった理由はこの人にも一部分はやっぱりあるのかなぁという気はちょっとしないでもない。


ただ、確かに銅鑼衣紋さんは党派性や政治性については常々否定したがってらしたことは明確で、これもご本人の書きこみであるとして、
http://anond.hatelabo.jp/20100820200245

21: ドラエモン  2009/06/03(Wed) 23:22 
つうかねぇ、リフレ政策を構造改革やら清算主義などが猖獗を極める中で提唱した理由は、感情やイデオロギーによって盲目になることへの警告だったわけよ。もし政治的に成功することそれ自体が至上命題なら、変な政策が軒並み失敗して万策尽きてしまい、国民が塗炭の苦しみにのたうつまで待てばよいのであって、なにも不人気なことを言うことはないでしょう。それなのに、今度は自分の主張を通すため人を盲目にするのではねぇ。

ああ…
http://anond.hatelabo.jp/20100620093154

ああ、としか言えないな。言葉がない。

追記
銅鑼衣紋さんが、党派性を拒否して、広く支持を取ろうとした意図はよく分かるんだけれども、結果的にどうなってるかというと、この部分だけが独り歩きして、むしろリフレ派の党派性を覆い隠すようにしか機能してないように見える。


現実には、リフレ派は、他のネット○○派と同様に、自分たちの都合で仲間にしたりしてなかったりしているわけで(Bewaadさんの件が好例)、銅鑼衣紋さんが志向したような党派性の拒否をやってることにならない。


他方で、たしかに「デフレはよくないことだ」「マイルドインフレを起こして、一定のところに物価上昇率日本銀行に維持させるのは重要だ」という言説そのものは、、、つまり、リフレ派にもいろんな人がいる、という状況を成立させるだけの「非党派的主張」にも見える。


一般的には、過度の党派性は敬遠されるものではあるので、「強い党派性を持つ」という実態を「私たちの主張は非党派的だ」という言説で覆い隠すことはできるというのは、むしろずるい(あるいはうまい)方法と言えないこともない。


銅鑼衣紋さんは、そういうことを意図していたのではないと思う。だけど、後に残った人たちがあまりにもあまりで、これでは。。。

追記2)
そういえばと、このあたりの問題についてはBewaadさんも次のように書いてらした。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100818/p1

BUNTENさんが「リフレ派の実体なんてねーよ、ただの呉越同舟に過ぎない。」とおっしゃっているわけですが、それで済むのはリフレ政策の実現がトッププライオリティだからこそ。小異を捨てて大同につく、とは大(=トッププライオリティ)を同じくするから成立する話で、大が同じでない人には当てはまらないわけです。BUNTENさんのご認識を言い換えれば、「リフレ派」とはリフレ政策の実現をトッププライオリティとすることが実体なわけで、セカンド以下のプライオリティは様々(=呉越同舟)だということでしょう。

で、実際BUNTENさんに近い認識でいるリフレ支持の人はそれなりにいると思うし、たぶん銅鑼衣紋さんも同じような意味合いで「非党派的」と言ったんだと思う。


問題は、この種の「非党派」性が、、、建前・お題目としてはご立派だけれども、、、現実にはうまくいかないという点で、銅鑼衣紋さんも楽観的すぎた、やや甘く見ていたんじゃないかという印象を持つ。


たしかに、リフレさえ支持するなら、後はどういう意見でもいいというのは、風通しはよさそうでもあり、もっともらしい。しかし現実にはそういうわけにはいかない、とくに現実にリフレをやろうとするなら、それほど簡単な問題じゃなさそうなのにと、そう思わざるを得ない。