ネット○○派 part382
いや、おっしゃることはよく分かるわけですよ。
https://twitter.com/#!/smasuda/status/184669297568780288
「政治は言葉の芸術」とゆうけど、それをせなあかんのはテレビの向こうの職業政治家だけで自分は無縁やとおもってる若い人がおったら認識改めた方がええよ。アンタもオレもそういう意味での「政治」にいやおうなく巻き込まれてんねん。語彙少なくて修辞下手な人は既に政治で負けてんのよ
https://twitter.com/#!/smasuda/status/184669625760489472
「やから文学部で勉強して語彙増やせロジックレトリック自在に使えるようになれ」と続けるのが大学教員としてのオレの政治
で、問題は「具体的になんのために語彙を増やしてロジックレトリックを自在に使えるようになれというのか」、あるいは「この場合の『政治』ってなに?」ということがあると思うんです。
説得の技術が政治には必要だと言うのはよく分かるんだけれども、じゃあ、その技術を使って具体的になにをするの?というところが問われないと、実現可能性を全く閑却したことを望むような「単なるホラ吹き」しかできあがりません。
このあたりは、大屋雄裕先生が、
あるべき姿とその実現 - おおやにき
他方「あるべき姿」として提示されたのがたとえば「そらをじゆうにとびたいな」だったとすればドラえもんでない我々としては「できねえよ」としか回答のしようはないわけである
と、大屋先生らしい、分かりやすいたとえ話で切っておられるけれど、「そらをじゆうにとびたいな」という実現可能性がないことを、「豊富な語彙」と「自在なロジックレトリック」で説いてみたって、「単なるホラ吹き」にしかならないのは、もうはっきりしているんじゃないでしょうか。
そして、タケコプターほどでなくても、実現可能性が非常に低いことであれば、それは変わりません。
むしろ、「単なるホラ」でしかないものを、「語彙」と「ロジックレトリック」を利用することで、いささかの現実性があるのではないかと見せかけることもできる、あるいはそうしろ、そうやって自分の味方を集めて多数派を作れ、それが政治だという話になりかねない(もちろん、増田先生の意図がそこにないことは、当然として)。
ネットは、原則的に言葉のやりとりしかない空間で、したがっておおよそ「豊富な語彙」と「自在なロジックレトリック」でいかようにもなります。そして、そのような説得の技術を持っている側が、持っていない善男善女たちをひっかけることなどたやすいことかもしれません。
。。。主張の中身の現実性が問われることはないのに。現実性がある話であるかのようにみせかけることは容易でもあるのに。
理念を語るのもいい。理想を語るのは大事なことだし、面白い。でも、「政治」という現実と深くかかわる営みと絡ませようとするならば、実現可能性を閑却して説得の技術を駆使することで多数派を形成しようとすることは、無意味であるだけでなく、あるべき理想に現実を近づけるべく真面目に取り組んでいる人たちの邪魔以外の何ものでもありません。
実現可能性がない、あるいは可能性が非常に低い理想は現実の「政治」の選択肢になりえないにもかかわらず、それでもできないことを言って扇動することが、ひとえに語り手の良心や善意の問題に依存しているのであれば、なおさら問われなければなりません。「具体的になんのために豊富な語彙や自在なロジックレトリックを使おうとしているの?」「本当にできると思ってるの?」、つまり「あんた、それ本気でできると信じて言ってんの?」と。
そう考えると、ああ、なるほどと思いもするわけです。ネットって、結局これだけのことじゃないかと。
とくに、増田先生のTweetをRTしているのが、
→https://twitter.com/#!/shinichiroinaba
この人だったりするのを見ると。ああ、リフレ派って、結局そうでしかなかったな、と。もっとも、今のリフレ派は「豊富な語彙」も「自在なロジックレトリック」も無縁のはるか下をいっているけれども。