ネット○○派 part358

ネット○○派 part357 - 今日の雑談

ニセ科学批判あたりにこの辺りの誤解がはなはだしいんだけれども、「自分たちは正しいことを言っている」から一体何なのかということが、あの人たちはよく分かってない。


ホメオパシーに科学的根拠はない、というのは正しい。で?というあたり。だから、どうしたの?と。


ニセ科学批判ってそこから飛躍するから、だからやれ人が死ぬだ子供の命がどうのという話になっちゃう。放射性物質で騒いでる反原発の人たちと何が違うかというと何も違わない。


原発の言っている人たちの言うことは科学的根拠がないから是認されないけれど、ニセ科学批判のいうことには科学的根拠があるから是認されるの?じゃ、正しければなんでも是認されると思ってるの?と問わざるを得ない。

このへんは厄介なのは、いろいろ議論を分けなければならないこともありそう。


一つは、ネットでは、何が正しくて何が正しくないか、簡単に判別できないうえ、往々にして空気やオーディエンスの気分で決められているだけではないか、という点。


とくにありがちなのは、ネットで有名な○○さんがこう言っていたという類のもので、この種の判断は単に発言者のネット上の知名度に、発言内容の信頼性を依存させているだけで、本当にその発言内容がもっともなものかどうかは検討されていない。


他方で、その逆にネットで有名な○○さんがこう言うんだからダメに決まっているというのは、その裏返しで、だけどこれはまだよろしいんですよ。ネットの情報は全部読んでられないんだし。


問題は発言者の知名度かなんか分からないもろもろに依存させて発言内容の信頼性が無駄に高まってしまっている場合であって、本来ならばこちらの方も「本当か?」という態度のほうが、よろしいわけだ。


例えば、早川由紀夫が言っているから信頼できないというのはまだいいけれど、菊池誠が言っていることを安易にRTされると、ちょっと待ってくれと言いたくなる。これまでこのブログで度々引用してるけど、実際は菊池先生も相当な無茶苦茶をこれまで言ってきていて、早川先生と違うのは単に物の言い方だけだったりする。


で、おそらく、菊池先生より早川先生のほうを信用するという人だっているに違いないわけで、その人にとっての信用がなんに依存しているかというと、早川先生の立場とか「イメージ」とか、そういうあいまいなもの以外になくなってる。


そして、お二人には申し訳ないけれども、今書いたことは例示にすぎないのであって、同様の現象はもういたる所に見受けられる。


事実の有無とか確認とかのレベルの話だって、いや、ネットでは簡単ではない話で、僕は相当程度留保をつける必要があるんだろうと思う。

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ちょっと脱線すると、ありがちなデマや誤情報批判の類は、ネットでも盛んだし僕もどうかなと思って考えながら見ていたけれども、結局答えがうまく出ないように思うのは、「でも結局ネットってそういうものだからな」というところに落ち着いてしまうからでね。


デマなりウソ情報が良くないというのはその通りだし、訂正したほうがいいというのもそうだとは思う一方で、じゃあ、みんな意図しないウソ情報や「デマ」の類を全く流さないかというとそうではないわけです。


むしろ逆で、実は情報の「正誤」なんて小難しいものを決めているのは、最終的には発信者の信頼性、ようはただの「イメージ」にかかってくるというか、ほとんどそれだけじゃないかということを考えると、ネット情報の正誤や信頼性なんてとたんに根拠がぐらついてくるように思います。


そこからたいていデマやウソ情報の類を排除しようという方向に動くんだけれども、そしてそういう動きはよく理解できるものだけれども、しかしながらネットの情報の信頼性なんてその程度のものなんだと割り切って、デマやウソ情報と共存する方向だってあるはずだと考えることもできると思うんですよ。


あるいは、デマやウソ情報を流すことそのものを過剰に罪悪視しない。どこかで諦めることが必要。


早川先生は無茶苦茶言うから問題だ、じゃ、ネットでは好意的に受け止められている菊池先生は問題ないのかというと、実際は問題がある。しかし、両者では無駄に扱いが区別されていて、その扱いの区別にはあまり根拠がない、イメージに依存しているだけで評価が二分されているに過ぎない。そしてこの問題は誰にでもネットのどこにでもある問題で、あれはデマを垂れ流すからダメだけど、これはそうじゃないからいいと裁断して済む話じゃない。

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で、もう一つは、デマや嘘を書くのが問題なのはいいとして、では正しいことを言っているから開き直ってもいいのかというとそうでもないという点で、ネットであまり理解されてないのはここのところだというのは、先のエントリで書いた。


ネット右翼や○○反対運動がおかしいのはそうだ。じゃ、歴史修正主義を批判するはてサの意見が正しいから、彼らがなんでも是認されるかというとそうじゃない。


ホメオパシーは科学的根拠がない、というのは正しいとして、それ以上のことを物理学者がなんかいえるのかというと何にも言えない、言ってはいけないはずなのに、簡単にそこを越境して薬事法がどうだ、漢方や鍼は歴史があるから研究する価値があるだ言いだしたりする。


むしろ、そこで一歩引いておくことのほうが恐らく大事で、正しいからと言ってそのまま追撃したところで何にもならないんだと思う。たかがネットなんで。

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もう何度も書いているけれど、「正しい」ことを言っているニセ科学批判と、「間違った」ことを言っているホメオパシーの人や放射性物質ネタで怯えている人と、当人の意識上としてはどちらも同様に「正しい」ことを言っているのであって、「正しい」信念と「正しい」信念のぶつかり合いにしかこの場合ならない。


もちろん、本当に「正しい」側が「間違った」側の「間違い」を指摘することはできる。でも、「間違った」側の意識としては自分は「正しい」のであるから、その指摘を受け入れてくれるかどうかは、あくまでもその人次第にしかならない。


それでもなお、ネット上で「批判」することに意味があるのかどうかははなはだ怪しいところだと僕は思うし、本人が分からないなら、それはもう仕方がないんじゃないか。リアルより余計に相対主義的な姿勢を保っておいた方がいいというのはつまり、そういうことなんでね。


そして、ネットでこのありさまなのに、社会的にどうというところまで飛躍すると、もうどうにもならなくなっちゃうんですよ。


(追記)
某所で面白い話を見たからちょっと書いておくと、ネットなんて所詮週刊誌か夕刊紙か、おそらくそれ以下の精度しかないものだと思うんだけど、そこで思考が刺激されるからいいんだということで報われるのかという議論は問題がいろいろあると思う。


一つは、ネットなんて所詮便所の落書きだと思っている人はまだよいとして、そう思ってない人の場合はどうするか。で、ネットに過剰な期待はできないと思っている人は相当数いると思うけれども、おそらく、ネットなんて所詮便所の落書きだと思っている人は少ない。


もう一つは、その程度の情報しかないネットで遊んでることが思考が刺激されるからいいのだと是認しうるかという問題で、最終的には個人の勝手、その人が面白ければよいという話だけれども、たぶんネットの積極的な魅力として語るには相当弱いと思う。


簡単に言えば、労力ばっかりかかって実りはあんまりないのがネットで、、、いや、面白くまとめて書ける人はたくさんいるけれども、で?みたいなことになりやすい。

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情報の精度は異常に低いが、思考が刺激されるからいいというのは、分かってる人はそれでいいかもしれないし、またそういう形でネットの住民たちが是認されると、それはそれで嬉しいかもしれない。でも本当にそれでいいのかどうか。


問題は、ネットなんて所詮その程度のものなんだ、たいして期待できない代物なんだということを、ネットの住民たちがもっと強く自覚すること、そしてネットの住民ほどネットに入り浸らない、余りなじみがない人たちにそのように語ることのほうが重要だと思う。


この程度のネットなんかに、絆やつながりなんかを求めては、いけないんだと。