ネット○○派 part335 ネットで正しい情報にこだわる意味がない

ネットでよくあるのは「正しい情報を流せ」「間違った情報を流す人間には責任が」という話。よく言われる。


つまり、そうやってネットの情報の信頼性を高めたいという意図は分かるけれど、だけど全く無駄というか、意味がないんじゃないかと常々考えている。


というのも、ネットの情報の正誤を最終的に確認して保証しうる手段は皆無だから。せいぜい、政府やそれなりにしっかりした機関の統計資料などはまだ信頼できるのかもしれないが、それ以外のものはたとえ専門家の言うことでも、大いに参考にはできても全面的に信頼できるものではない。(ただし、専門家の見識をおとしめたいのではなくて、むしろ尊重したいからこういうことを書いている)


あえて極論を書くと、その意味ではネットの情報で信頼性のある情報などというものは存在しないと割り切ってしまった方が話が早いのであって、ネット情報の正誤にこだわりすぎることに意味があるのかどうか、よく分からないというのが正直なところ。


つまり、ネット情報の信頼性を高めようとして間違った情報の流し手の責任を云々することに、さして意味はないんじゃないのか。そもそもネットの情報に信頼性なんてものはないんだから。

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一時期、原発事故直後に「メルトダウンはない」として危機を煽るなと言った人たちが結果的に誤りだったという話題があった。


これなんかも、いわゆる「デマ」や「誤情報」の文脈で論じようとするから話がこんがらがるので、ネットなんてそういうものだと割り切っておけば、そう大きな問題ではなくなる。


あるいは、そういう情報を流した人たちは誤情報を流したことに強い反省をもっているかというと、おそらく多少は反省しても、今でも普通に同種の誤情報を書いてるはずだと思う。


他方で、誤情報を無反省に垂れ流すとして強く批判されるような人たちのことを、本当にそこまで批判できるのかという疑問が出てくる。みなやってることは同じじゃないか。


ちょっと脱線すると、ここでも「線引き」の問題が出てきて、自分たちはいいけど、あいつはダメだ、みたいな線引きを勝手にされかねない。

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もっとも、ここでは、ネット情報の正誤はどうでもよいと言いたいのではなくて、それなりに大事だとは思うけれども、それほど重要視しないほうがいいんじゃないかということを言いたいのであって。


むしろ、ネット情報の信頼性なんてものは皆無だし、そういうものを求めても仕方がないのであって、それこそ「便所の落書き」を出ないんだという認識をきちんと持っておくことのほうが重要なんだと思う。


最後に、ネット○○派と絡めて書けば、「正しい」ものなんてそうそうないネットで、「正しい」ことに依りながら徒党を組んでしまうあたりが面白いので、ある言説の正誤に関わらず、ある集団にとって「正しい」言説が問題なんだということとつながりがあるんじゃないのかなという気はする。