ネット○○派 part322 煙幕

某所で、今は自然科学分野のほうがかえって相対性が高い云々という議論を見たから書いておきたいんだけれども。


いわゆる「理系」「文系」区分の問題っていろいろあって、そもそもの前提としてはこんな区分は血液型性格判断とかと似たようなもんだというのが前提。そら、便法としてはいいですよ。あってもいいと思う。


で、そのうえで、一つは、「理系のほうが論理的」みたいな区分けをしてると、「理系」の自分は論理性が高い思考ができていると錯覚しうるんじゃないかという点で、このへんは血液型性格判断からくる自己暗示なんかよりも、相当程度蓋然性が高いんじゃないかと思う。根拠ないから、強くは主張しませんけど。(でも、ニセ科学批判の人たちのあのなんちゃって議論・無駄議論を見てると、自分たちは論理的だとおそらく信じてるな)


もうひとつは、「理系」「文系」区分と、そこに所属する人との性格とは必ずしも一致しないという問題で、こう書くと当たり前なんだけど、どうも錯覚されかねない。


「自然科学分野のほうが今は相対性が高いんです」というと、じゃ、自然科学をやってる人の思考も「常に」そういうものなんだと思いがちであるけれども、もちろんそうではない。両者は別の問題だというべきでしょう。

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このへん、ネットを見てるとよく混乱してるんだけど、専門分野はまともだとしても、常にまともな思考ができる人かどうかはまた別問題なんであって、そこのところを分けてものを言っている人は、どうも少ないらしい。


本当にそれなりに相対性が確保された思考ができるんだったら、ホメオパシーは科学的根拠はないとは言ってもいいけど、そのこととホメオパシー叩きとは別だということに気がつかないといけないし、ニセ科学批判のホメオパシー批判はもう分を超えてしまっていると分からないといけない。消費者問題の領分に首を突っ込んでいるんだから。


ニセ科学批判の人たちって、大学の先生も含めて、そういう思考ができてないじゃないですか。気軽に壁を乗り越えてしまって、自己認識を錯覚していると言わざるを得ない。。。いや、ご専門は存じませんよ。それぞれまともな研究をされてるんだと思う。だけど、ことニセ科学批判に関する限り、どこに「穏健な相対主義」や「それなりの相対性」が確保された思考がされているというのか。


そこに、「科学教」とあだ名された理由もあるし、ニセ科学批判の悪口が言われた理由もある。信頼できる部分は信頼していいし、またそうするべきでもあるけれども、ことニセ科学批判の文脈に関する限り、全く信頼できないということは、もう強調してしすぎることはない。


まして、最近の自然科学分野は相対性が高いという議論はしてもいいんだけど、もしニセ科学批判の文脈に絡めるならば、もうまったく煙幕としてしか役に立たないと言うべきだろうと思う。研究分野はそうでも、その研究をしている人の思考のクセは全く別問題なんだもの。