ネット○○派 part316 無理な跳躍

改めて書いておくと、Twitterで、少し前くらいからぼつぼつと、科学の問題からダイレクトに社会問題に首を突っ込むことの無理さについて、そういうTweetが出てきたし見られるようになったのは、いいことなんじゃないだろうか。


放射性物質による汚染問題あたりでも明らかになってるのは、科学的に言えそうなところはだいたいこんなところというのはあるとしても、じゃあそれでみんな納得できますかというとできなかったりするものだということだろうと思う。


いや、むしろ、僕は「子供」や「親の不安」を建前にして押していく議論にほとほと呆れている方なんだけれども、それでも科学リテラシーがどうの何のと言っても仕方がないし、まさに政治とか社会的にどういう合意を作っていくかという問題のはずであって、自然科学の専門家がどうこう言える分野を超えてしまっている。


だから、その種の専門家の人にきちんと議論してもらって、仕組みを作ってもらいたいと思っている。

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ニセ科学批判がなぜ無理なのかというのは、つまりこのあたりに、あるいはまさにここにあるんだろうと。ホメオパシー批判がもう典型なんだけれども、ホメオパシーは科学的に間違っているという。たしかにそうでしょう。じゃ、社会としてああいうものをどうしますかというのはまた別のフェーズなんだから、それはそれでまた別に考えないといけない。で、おそらく、この問題はそんなに簡単な問題じゃない。


そこで、「科学的に間違ってるから」「詐欺だから」「人が死ぬから」「子供が死ぬから」「科学的間違いを指摘して正すだけの何が悪い」で開き直って跳躍しちゃうと、もうダメなんだと思うし、少なくともその跳躍の無理さ難しさを前提にしたうえで言ってもらいたいもんだと思う。


そうじゃないから、だから「科学教」っていわれちゃうんですよ。当人たちの自覚の有無にかかわらず。