ネット○○派 part317 差別の問題と科学の問題は分けた方がいい

被ばくしたら奇形の子どもが生まれると言ってはいけない「差別」 - Togetter
これもそうで、菊池先生が奇形を無自覚に差別してるかとか、リスクを避けるのは正当な行為だというよりも(安易に「リスク」と言っちゃうのもどうかと思うんだが。いや、ホメオパシー批判に批判的だった早川先生がそれを言っちゃいかんだろう)、科学の話と差別の話は別だということが分かってないところが問題なのでね。


これは血液型性格判断批判でも構造は同じ。僕は、ニセ科学批判の中では血液型性格判断批判はまだましだと考えているほうで、というのも合理性に欠けるものの考え方そのものを批判したいという意識がまだ強そうにみえるからましなんだけれども、しかし一方でニセ科学批判の人たちが言いがちな「血液型による差別」云々の点はどうでもよいと思う。それこそ、差別の問題は簡単に言えないはずなので。これは以前書いた。


ニセ科学批判の問題はそういうことなんであって、科学の議論を簡単に越境してしまう。上のような場合だと、まず「差別はよくない」という、誰も反論できない水戸黄門の印籠を持ち出して自己正当化してしまう。そこに後付けで科学の話をくっつける。

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ホメオパシー批判でもやってることは基本的に全く同じです。科学の問題をひょいと安易に越境して社会の問題を論じてしまう間違いをやっている。


ニセ科学批判のコアの人たちは仕方ないとしても、なんとなくニセ科学批判はいいものだとぼんやり信じている人たちは、そこはちょっと立ち止まって考えてもらいたい。

追記
念のために書いておくと、別に差別の問題と絡めずに、これこれこういう調査の結果になってます以上、とか、こういうことになっています以上とか、それだけだったら別に何の問題もないと思う。


差別はよくないとか何とか言って正当化して動機を強調することないんですよ。どこにも。