ネット○○派 part279 

ネット○○派 part268 扇動に向いている場 - 今日の雑談

このあたりの問題は、自覚ができて相対化ができさえすれば、おそらくクリアできる問題だと思うんです。ただ、これをやるとニセ科学批判には「相対主義者」とか言われるんだよね。ここはあとで書いてもいいけど、ネットってリアルよりも意識的に過剰にそういう立場をとっておいた方が何かと平和ですよとは思う。これが正しいあれが間違いだからお前はすっ込んでろをやりだすと、もうどうにもならない。

ようはネットだと、異論は簡単に目に入るし、容易に潰しにかかれる一方で、ネット上にあらゆる異論・議論があるのは当然なんだから、リアルより意識的に「相対主義者」やってるほうが平和なんですよ。


ニセ科学批判を問題視するとたいがい決まって「相対主義者」とか言われるんだが、いや、僕自身はホメオパシーに科学的裏付けがない、間違っているということの判断を留保したいわけでもなく、血液型性格判断は正しいかもしれないということを言いたいわけでもなく、宗教的真理について云々したいわけでもなく、科学の判断は十分に尊重しているつもりなので、「相対主義」とか言われても困っちゃうわけで、しかもニセ科学批判の人も穏健な相対主義は認めていたはずだし。


一時期の「科学教」呼ばわりがまんざら間違いでもなかったのはここのところで、たとえばイエスの復活を信じている人にとってはそれが絶対的に正しいし、聖書に書かれていることを信じている人はそれが絶対的に正しいと信じているわけで、そこで科学は価値中立性云々手続きが云々と言えば言うほど、いかにある問題における科学の判断は正しいかということを言い募っているだけで、外形的には狂信者がやってることと同じになっちゃう。。。といって、繰り返しになるけど、科学を尊重しないと言ってるんじゃないですよ。


そうじゃなくて、こういう場合には、正しいと考えるからこそ余計に抑えておく必要があって、あるいは抑制するべき部分があるはずであって、それが自由ということなんじゃないのということです。


ホメオパシーはあんだけぼろくそに叩いておいて、日本の漢方や鍼は許容できるダブスタを平然とやる「俺様たち基準」で対象を選定してるのに、それで穏健な相対主義善悪二元論はとらないもへったくれもない。まさに「正義のただ乗り」やってるだけ。なんかの状況でもし「正義のただ乗り」の矛先が自分たちに向かうとどうなるかとか、全く考えない。


で、ここのところの錯覚は、ネット○○派はたいがいみなやってると思うんですよ。俺たちは正しいんだからどうこう、という議論をしてしまう問題を、軽視していると思う。