ネット○○派 part276 ネットの風景

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110811/p1

ツイッター(2〜3年前迄はブログ)経由「だけ」で有名になるのはやはり無理ではないですかね?


ただ、そうした基盤があって、更に現在は活字・ラテ媒体への顔出しもしてて、その上で駄目押し的に熱心な「ファン」を囲い込むにはツイッターは有効なのかなとは思いますけれど。

いや、まさにそういうことを言いたいのであって。ネット「だけ」で有名人になって「論壇」みたいなところにでたのって、誰かいたかなあ。。。うーん、すぐ思いつかない。ただ、そういう基盤がある人がネットを踏み台にする場合なら、ある気はする。というか、そういうのは分かる。


もっともネットに活路を見出すやり方はあっていいとは思うんだけども、結局「ファン」を集めて遊んでるだけ、支持固めやってるだけじゃないかというふうにしか見えないし、実際そうなんだと思う。そのわりに、なんか誰も疑問を感じてなさそうに見える。これがね。


ご当人たちはそれで結構なのかもしれないし、他人がとやかくいう問題じゃないのかもしれないが、だけど、、、ここはネット○○派は外してごく一般論としても、、、やっぱりちょっとおかしいよと主張する人がいたっていいと思う。


というのも、これが普通だと思われるとかなわないし、Twitterでいくら直接会話してるような気がするとはいえ、やっぱり他のどんな書き物と同様にちょっと距離を置いてみることも大事だし。


それができてないから、Twitter(やブログ)で釣られてるだけ・釣ってるだけで「ファン」の支持を固めてるんだということが、今一つ見えてこないし、自覚できない。


実際、普通に判断がダブスタになっていて、チキさんが「分かりやすい敵を叩くだけで終わらせてはならない」といくら書いたって説得力ゼロ、もうチャンチャラおかしくなっちゃってるわけだ。それも結局、「シノドス系」と言ったらいいのか、そういう党派性ができあがってるからこそ、そこで一定の党派性を帯びているんだけど一般にそれがどの程度理解されているか。下手したらシノドスに物を書いている人にすらその自覚がないかもしれない。


ようは、議論が簡単にねじれてるんだけど、全く意識されてないらしいというのがね。


いや、単なる「ファンの囲い込み」にすぎないものを、ソーシャルメディアだフラットだといって、一般人を釣るというのは、見ていてちょっとたまらないものがあるな。

リフレ(ネットリフレ)派の人たちって、実際には「ダベリ」にしか興味が無い人たちだったわけですから、、、。


つまり今までもあった、
リアルのあらゆる集団(大学などの部・サークルの類から市民運動まで)が堕落していった経緯をリフレ(ネットリフレ)派もそのままなぞったわけですよ。

何時の間にか当初の「目的」はどうでも良くなってしまい、単に「群れる」事だけが自己目的化していく、、、。


もちろん中高大や一般の「部」「サークル」程度なら単なる「ダベリ」部でもそれはそれでいいんですよ。

このあたりはニセ科学批判を見ていたときにも同じことを感じて、具体的に何かしようということが全くないので、単に「ダベる」しかなくなる。年に一度、ニセ科学批判フォーラムやりますといって、それで?みたいなことにしかならない。


仮にも旧帝大や立派な大学の先生がなんでこんなことやってるのか、正直意図をはかりかねている部分もあって、猿山のボスでいたいという気が多少はあるのかなと思ったりもしたんだけど、そうではなくて先生がたはそれなりに本気なんだけど、ご自分たちでおやりになってることが全く理解できていないというあたりが正解かな、と今のところはそう思います。


リフレ派でも、田中先生とかそういう感じするし。悪い人じゃないのはよく分かるんだけど、ああなってしまうとどうにもこうにも。。。

但しネットリフレ≒シノドス系の場合、
いかにもそこに日本国家救済の可能性が在るかのような幻想を売りつけてそこら辺の人の貴重な「時間」「カネ」を奪うのは「罪深い」でしょうね。

これはネット○○派に限った話じゃないんだけれど、ようは実現不可能なことを目標に掲げておくと、集団なり組織はまとめやすいし続きやすいということはあると思います。永久に実現できないんだから。まあ、ありがちな話ですわね。


で、実現できないから、主張がどんどんエスカレートするし、そこに凝り固まって中毒を起こす。


落ち着いて考えたら分かることなのに、ネット右翼と同じことを「インテリ」のはずの人たちもやってることが分からないんだから。

(オレだけはアタマがいいと思い込んでいる)「馬鹿」

昔なら「ニューアカ」にハマってたような知的スノッブ

としか言いようがないな。参ったなあ。

もうこんな人たちほっといた方がいいと自分でも思うんだけども、根がへそ曲がりなせいもあって、やっぱり「この人たちはおかしい、言っていることが変だ」とはっきり言う人もいた方がいいか、とも思う。


ネット右翼とはてサを見ていたときからずっと感じていたけれども、結局、ネットに物を書こうかという欲求を持ってるような人はたいていどっか偏りがあるもので(それ自体は当たり前で自然なことだから構わない)、しかも評判になるような有名人はその偏りをそのままにネット上で大声で呼ばわってるようなものだったりする。


でも現実には、そういう大声で呼ばわってるような人たちというのは、たいてい少数派で、少数派だからこそ余計に頑張って大声になるんだけれども、そうなるともの言わない多数派はどうなんだという問題になる。


ごくごく当たり前に生活している普通の人一般の人は、そんなしつこくものを書こうかという表現衝動なんてないし(それはそれで当り前)、大声で呼ばわる必要もそうそうない。しかも、普通は右翼も左翼も分からないし、知らない。


そうなると、結局、ネットで強いのは「偏りのある、声のでかい少数派」だということになる。でもそれっておかしいんで、現実を反映してない。


しかも、そういう偏りを前提にして読まれる分には構わないんだけど、しばしば「ネットで本当のことが分かる」「真実が分かる」の方向に行ってしまいかねない。


インテリだか学歴が高いんだか低いんだか何だか知らんが、あんたたち変だよと言っておくことは、あるいは必要というか、まあ、そういう人がいたったって構わないだろうと。

追記

ネットリフレ系のツイッター(ブログ)とか見てますとね、「子持ちです」とか書いてる人のトコでたまに「リフレ派の××先生の著書を購入」とか「リフレ系のイベントの飲み会に行ってリフレ派の××先生と話す」みたいなのが書いてあって、
おいおい、そんな本やイベント・飲み会に使うカネで家族サービスしいや、、、。
と本当にお子さんたちが気の毒になります(マジで)

僕なんかが見ていて、リフレに凝り固まってるようなタイプじゃなくて、もっと善男風というか、本当に人が善いだけなんだろうなあという人がリフレ派の本を買って真面目に読んで「勉強になる」とか言ってるのを見ると、「あーあ。。。」という気分になりますよ。きっと、普通に生活しているお父さん、家に帰ったら良きパパをやっているんだろうなあと思うと、リフレ派の先生たち、ちょっとは責任感じろよと思うんですよ。


もっとも、そこで責任だの罪悪感だの考えてたら、だいたいこんなことできないんでしょうけど。


ネットで扇動して集団を作るのも人の勝手だけれど、だけど、、、という部分、もうちょっとみんなまじめに考えてほしいもんだと、僕なんかは思うんだけどなあ。