ないものねだり

個人的に、3月11日以降の一週間、政府があるデータを公表して住民を避難させるということができたのかどうか。無理だったんじゃないのか、あるいはそれどころでなかったんじゃないのかいという気が、3月の15日くらいからずーっとしている。


もっといえば、「データを公表して住民に考えさせろ選択させろ」というのも結構なお話で。「データ」は読める人が読まないといけないわけで、「市民」や「庶民」に「データ」は読めない。


では、「インテリ」や「賢い人」に「データ」が読めるのかというと、全然そんなことはないというのは、ネットを見ても明らか。だから、ここは専門家にお出まし願うしかないんだが、まともな専門家ほど厳密かつ正確にものを言おうとするから、それでは一般庶民の役に立たない。


当時、ドイツの拡散予測や、たしかほかの国のも出ていたような気がするが、あの類がネットで広まったとき、問題になったのはまさにそこだったはずで、予測の前提条件や何やらを全部すっとばして、天気予報か何かと同じ感覚で見ている人が結構いたと思う。


このへんは今でもそうで、新聞報道で「東京電力によると○○が分かった」や「××学会の発表で、○○大学の某教授は」というと、その結果だけを報じて、いろんな前提条件はすっとばされてしまい、またそのまんま読んじゃう人も多い。


したがって、あの一週間のあいだで「データを公表するべきだった」とか言われても、公表されたデータが正しく伝わったとはちょっと思えないし、無駄に混乱するだけだった可能性のほうが高い。


みんな、あの一週間のことを忘れてるんじゃないのということは、Twitterを見ていてたびたびあった。もっとも、今でも想像力がない人が少なくないから、「インテリ」や「賢い人」たちは無駄になんちゃって議論ばっかりできてるわけなんだが。


もうちょっと余裕ができてからは、政府も他にやりようがあったのかなと思うし、今でもこのスローモーぶりでいいのかと思うけど、このあたりは数年後の報告を待ちたいな。

こっそり書いてしまうと、おそらく放射性物質を拡散させるがままにするしか現実には手がなくて(しかも、あの時は今よりもっとひどい状況も想像できた)、人間の移動は相当難しいんだろうと感じたのは、地震の次の週の火曜日の晩だったと思う。ビールを飲んでいたらそう直感して、現実にそのように展開したので唸ってしまった。


ようは、巨大地震に巨大津波で、東北が一時的に完全に麻痺しているときに、そのうえ原発事故が起きて、これ以上の不安定な要素は付け加えたくないし、付け加えるべきでもなかった。世界経済の一翼を依然として一応は担っている関東一帯には4000万だかの人口がいて、これが動揺するのを想像すると傍目から見ているだけで「危ないっ!」とそれこそタマが縮みあがるような気分がしたもんだったんだ(ところが、当の関東の人間たちは自分たちがリスク要因だとはまるっきり思ってなかったし、今でもそうは考えてないんだろうな)。


国民の健康が、というけど、現実的には確率の問題で、これはもうあとから対応するしかない。もし病気になる人が出れば、これは日本人の総意として(東電や政府に安直に責任を帰するのではなく)、ごめんなさいをして謝るしかない。だから、僕は被災地とは無関係のところにいるし、東京電力や政府の肩を持つわけではないが、いつでも進んでごめんなさいを言おうと思う。3月15日から、ずっとその気でいる。


で、ここまで腹をくくったのは誰か、菅さんにそこまでできたのかどうかよく分からないが、エラいと思う。メダカの群れのような日本人を統治するのは大変だなあと、あの一週間は日本の統治者たちを気の毒に思った。海外の視線は、まあ岡目八目だから非常に参考になることはたくさんあったんだけど、「まあ気楽でいいよね、手前ぇのところで同じことになってみろ、日本政府よりもっと上手に情報をコントロールするんじゃねぇのか」と、言ってやりたくなることはよくありました。


僕が、
無題 - 今日の雑談

放射性物質から子供を守れというのはいいとして、僕なんかは、将来実際に子供が病気になったとして日本人はどういう対処をするつもりなのかと思うんだけど、公にそういう議論はできないにしても、ネットなんだからやってもいいんだろうが、少なくとも僕はそういう議論や意見はあまり見てない。責任の問題しかでてないでしょ、基本的に。なにそれって話ですよ。

と書いたのも、この考えがあるからで、いつまでも他人の責任にして、、、法的責任や賠償責任や、個別具体的な議論は別にして、、、まさに「分かりやすい敵」を叩くばっかりの現状に、それで何とも思わない日本人が多いらしいことに割に絶望して、それでTwitterなんてバカらしいと吠えたくなりもするわけだ。