「安全・安心」幻想

いつから日本語に「安全・安心」という表現が出てきたのかよく覚えてない。原発事故や巨大津波を目の当たりにして、「安全」は努力してある程度実現可能でも、「安心」は無理だということがこれでようやく日本人も分かるだろうと思った。実際、Twitterでそういう意見もちらほら見た。


でも、現実はそうならなかった。


こと、この期に及んでまだ「安全・安心」を追及して、被曝ゼロ=安心 みたいな発想をする類のアホが、、、あえてアホと言ってやりたいわけだが、、、どうも少なくないらしい。逆に言えば、放射性物質・被曝→安心できない・「非安心」材料→排除!な論理に簡単にいく。


「安心できない」「何を信用していいか分からない」。。。だったら、神様でも信じりゃいいじゃないか。安心できる人生なんて、どんな金持ち王侯貴族でもあるわけがない。