ネット○○派 part268 扇動に向いている場

ネット○○派 part267 ネット○○派の共通問題 - 今日の雑談

ブログの出初めのころからネットを見ていて、自分も含めて人というのはわりに簡単にこの手の扇動にはまるということはよく分かったし、うんざりしてるわけ。

ネット○○派 part266 扇動の道具としてのTwitter・Facebook - 今日の雑談

つまり、その扇動の相手って普段は動画張ったりおしゃべりしてるニーチャン・ネーチャンたちであって、彼らを乗せて煽ることも可能だ、というわけでしょ。

で、問題は、そういうニーチャンネーチャンたちは、ネット上の政治的扇動には全くウブだと見てよいだろう、と。ようするに、左翼も右翼もよく知らないのが圧倒的大多数で、そっちのほうが普通のはずです。


まして、ネット上の「有名人」の言説の信頼性がなんによって担保されるかというところに考えが行くような人は少ないのが当たり前でね。たまたま、全然関係のない話で大学の先生のボヤキをみつけたんだけれども、、、
http://d.hatena.ne.jp/side40/20110725/1311563249

課題用の資料だけではできない。そんなとき、彼ら(学生)はどうしたか。ネットで検索するのである。どんな情報(サイト)を頼ったのか知らないが、検索して結果(らしきモノ)が出てくれば、それで良いわけですな。非常に危うい。信頼を置けそうな書籍などにあたる気はないのかね。


学生によっては、「自分で(ネットで)調べたりして、たいへん良い機会になった」なんて書いている。どのくらいの信頼度の情報を得たのか、逆に言えば、危うい情報に踊らされていたのではないか、自覚がないようだ。

大学の授業の課題だからより慎重になるのは当然として、でも普段から、たとえばTwitterのなんてことはないおしゃべりの段階でもこれは同じはずなんだけど、どうもそこがよく理解されていない。


ところが、この問題はどうも「無名の一般人」だけではなくて、それ相当の「有名人」にもあったり、Twitterでいえばそれなりのフォロワーを集めて支持を得ている人でも、こういうことがどうも良く理解されていないらしい。


しかも、それが結果的に党派性を生んでいて、自分の判断なり言説に影響を与えているかもしれないということや、「有名人」として自分の言説が他人にどういう影響を与えているかという自覚はなさそうである、あるいは妙に錯覚していかねないと。「フラット」の一言でそのへんの問題がきれいに片づけられている可能性すらある。


このあたりの問題は、自覚ができて相対化ができさえすれば、おそらくクリアできる問題だと思うんです。ただ、これをやるとニセ科学批判には「相対主義者」とか言われるんだよね。ここはあとで書いてもいいけど、ネットってリアルよりも意識的に過剰にそういう立場をとっておいた方が何かと平和ですよとは思う。これが正しいあれが間違いだからお前はすっ込んでろをやりだすと、もうどうにもならない。簡単に言うと、ネットに関する限り、ネット右翼はいてもいいし、非国民もいてもいいわけで、そのことの意味は結構大きいと思うんだな。

いや、だから。こういう状況だから、扇動ってその気になればわりにやりやすい環境でしょう?だから、危ないぞ危ないぞと言っておく人が、まあいてもいいのかなと思うんですよ。