ネット○○派 part267 ネット○○派の共通問題

リフレ派がいろいろ終わってるのは震災後に脱原発(反原発のほうが近い?)のスタンスを取ってしまったことで、そりゃ経済学の人たちなんだから当然経済的合理性を優先させたポジションを取るものだとばっかり思っていたんだが、そうはならなかったあたりがね。


つまり、経済的合理性よりも、官僚・霞が関悪玉論のほうが優先されるんだということが明らかになってしまったわけで、、、あの人たち、日ごろはやれ経済学も知らない連中がだのデータも提出せずにだのなんだの言うわりに、結局官僚に対するルサンチマンのほうが大事なんだから、経済学だデータだって話はほとんど無駄だと言わざるを得なくなった。


こうなると経済学だのデータだのというのは、見掛けそれっぽく見せる装飾にすぎないのであって、ルサンチマンを正当化させてくれる理屈だったらなんでもよろしいわけだ。


この辺りがネット○○派の扇動の形だなあと。

追記
このルサンチマンって結局、中途半端に高学歴の人が自分はこうなのにあいつらは、ってことでしかない。だから役人をバカにして鬱憤を晴らす方向に行って、基本的には自分より有能な人たちだということが認められない。


と言うかそれ以前に、官僚だって自分と同じ人間だという単純なことすら認識できているのかどうか怪しいね。


学歴の話をしてしまうとアレだけど、これでルサンチマンを感じてるようだと、まさに「中途半端に高学歴」としか言いようがないわけで、いかんわなあ。。。


。。。ただ、役人相手にわざと上から目線でエラそうにするというというワザはあって、でないとなめてかかってくるからかなわんという話もあるみたいですけれどもね。
追記終り)

脱線するけど、ネットがアホくさいのはこういうことで、結局見た目で左右されているのが実態らしいので、脱力せざるを得ない。


だって、自分のルサンチマンを正当化してくれるんだったら何でもいいんだし、自分の正義を否定する言説は「これはひどい」で罵倒して終わるんだったら、もう何をどう書いても無駄・無意味じゃないかとしか言いようがないわけでね。


このブログで、冒頭に書いてるように、いい加減なことを書くことに終始するという姿勢にずっとしてるのは、まあそういうことです。

リフレ派が「御用一般人」ってなレッテルを作って嬉々として喜んでるあたりもネット○○派らしいところで、ようするに外部に敵を作って身内固めしてるだけでしょ。


ただ、面白いなあと思ったのは、実は全然違うネタで同じことを直接言われたことが僕にはあって、それを思い出した。というのも、人権擁護法案絡みで「あなたは権力の言ってることしか書いてない」みたいなことを(正確な言葉はもう忘れてしまった)、面と向かって書かれてしまい、「いやちょっと」と待ったをかけたら理解してくれたんだけど、まあ、簡単にこの手の発想にはまってしまうらしいのね。


ここは真面目に書くと、官僚なり霞が関なりを批判するなとはたぶん誰も言ってないし、言わないと思う。ただ、批判するならちゃんとした筋があるだろうから、もっとちゃんとやってくれと言いたい人は結構いるんじゃないのかな。

つまり、ドン・キホーテが風車に突撃したように、外部に敵キャラを作ってやってそれを叩けと煽るやり方をとると、まあ、なんとでも言えてしまうわけですよ。ネット右翼の特亜・創価・在日云々から、リフレ派の官僚悪玉論から、ニセ科学批判の「トンデモ」叩きから、ある敵キャラ・悪玉を想定してウンコでもなんでも放り投げて叩くことが是になる。


いやちょっと、それは、というと、「正しい俺たちの言うことが分からないのか」「俺たちを支持できないのか」「俺たちに反対する奴はバカ」と、ものすごーく簡単に言うとそういう理屈にいつもはまる。


だって、敵キャラ・悪玉は「悪」であって、それを叩く自分たちは「善」「正義」であり、自分たちを支持しないどころか批判する人間は「悪」に加担するけしからん連中なんでしょ、ようするに。ほとんど、マンガの読みすぎかゲームのやりすぎと言うほかない(→ネット○○派 part145 フィクションでリアルを見ることの愚 - 今日の雑談)。


我ながら単純化しすぎかと一瞬思ったけど、リフレ派もニセ科学批判のホメオパシー叩きもいつもこれだった。善悪二元論は取らないなどとニセ科学批判はいうけれど、踏み絵論法で「そういうことを言ってニセ科学側を利することが分からないのか」みたいなことを言うのが実際で、善悪二元論は取らないという建前は本当にただの建前でしかなかった。


それは○○反対運動でもそうでした。○○法案は悪だから、ウンコでもなんでも放り投げて扇動する。で、まともに批判したい人がいる場合、そういう人の足を引っ張ることにしかならないのに、それが分からない。

いや、おしゃべりだけしてる分には無害だからいいんだけれども、結局、ネット○○派としてグループが形成されて、常に自分たちの帰属意識を確認しているのが実情で、Twitterなんかはそのために非常に有効だというあたりがね。


ネットで巨大な政治運動が形成されずに、ン百人程度の小グループが林立しているだけだから救われているんで、これ、本気で政治的扇動をやりだしたら簡単にはまる人が結構でてくるんじゃないのか。


・・・正直なところ、なんでここまでネット○○派に執着するのか自分で書いていてもよく分かってない面があったんだが、ここが心配というか、気になるんだねえ、結局。


ネットは政治的扇動の道具として有効で、実際ネット○○派というのはそれぞれのテーマの扇動にはまってる人たちの小グループと言っていい。で、ブログの出初めのころからネットを見ていて、自分も含めて人というのはわりに簡単にこの手の扇動にはまるということはよく分かったし、うんざりしてるわけ。


扇動にはまるのは、教育の程度の問題でもなんでもなくて(ましてなんちゃらリテラシーだのという分かったようなカタカナ語ですらなく)、はまるべくしてはまるとしか言いようがない。そういう性格なり思考癖の人ははまる。中卒でもインテリをバカにできたりしてごもっともなこと言えるんだから、もう関係がない。


だから、再び脱線すると、ニセ科学批判あたりが「科学リテラシーが」とか「トラップにはまらないようにするために」とか議論してるのがアホくさいのは、自分たちがネット○○派やって「トンデモ」集団と同じことやってるのに、リテラシーもトラップもへったくれもあるはずがないというのが、もうアホくさいわけ。


Twitterなんかだと、個々の「有名人」と「支持者」の関係がネット○○派の人間関係に非常に近い。実際、スケープゴートを作ったりして、支持者固めやったりするんだから。


ただ、ネット○○派として小グループが林立しているだけなら、それでもゲンナリするけど、まだましかもしれないということにすぎないんでね。でもこの辺りの問題についてよくよく自覚的で、注意深くないと危ないんでしょうね。