ネット○○派 part266 扇動の道具としてのTwitter・Facebook

いや、面倒だから調べてないんだけど、スペインの5月の地方選挙で与党が大敗した時、マドリードなどで大規模なデモ・集会が起こったのは記憶に新しいところだと思う。で、あの集会もやはりTwitterFacebookが大いに利用されていて、数ヶ月前からオーガナイザーたちが周到に準備してたらしいんだけど、この辺りのことを日本語できちんと紹介している記事ってあるのかな。みたような記憶が、あんまりない。あったら申し訳ない。


というのも、TwitterにしろFacebookにしろ、市民のためのメディアだ、みたいな扱われ方で、米国で初の黒人大統領にソーシャルメディアTwitter!とか、エジプトの革命でもインターネットが!みたいな語られ方しちゃうと、ようは左っぽい人たちが喜びそうでしょ。


ところが、スペインの場合は中道左派の与党に対して、右派が抗議デモをやって、そのさいにTwitterFacebookを大いに活用した様子だとなると、それって左翼の人たちに都合が悪くないのかなあと思った。いや、僕の理解が間違ってるかもしれないし、日本語でも大々的に紹介されていたのかもしれない。

こうなるとTwitterにしろFacebookにしろ、本気で政治運動に持っていく気ならそういう利用の仕方は可能には見えますわね。つまり右派でも左派でもどうにでも利用できる、扇動の道具にはなりそうだ、と。


ただ、外国の様子をぼんやりながめていて、全くうらやましくならないのはなんでしょうかね。エジプトの今だって、あれだけ盛り上がったのに、みたいな感じだし、スペインだって与党に支持がすこし戻りつつあるらしい(政権交代の可能性は高いとしても)となったら、なんか虚しいでしょ。


アメリカでも、債務上限の引き上げ問題に関して、インターネットのデメリットが語られてるのが散見されてね。つまり、ネットでものを書こうかというのには過激なのが多いし、どうしても書き方がきつくなるから、そういう声が大きくなって、かつ大きな声に見えてしまって、政治家のほうもそれに流されて後に引けなくなって、妥協が難しくなったと。


Twitterなり、Facebookなり、使いようによっては政治的扇動に使える。ブログも使える。それは分かる。「で?」みたいな部分。

Twitterソーシャルネットワークの推進者たちは、こういう現状を見て反省してくれるのかというと、どうも反省する様子がない。ああいうものが所詮おしゃべりしかできないおもちゃにすぎないって彼らは言いますか?政治的扇動の道具になりうるけど、そうなったら危ないぞと言いますか?言わないでしょ?


ネット○○派の問題も、根は同じだと思うんですよ、これ。

追記
Facebookで、知人の関係で日本の地域SNSが紹介されていたんだが、ああいうのが僕には全く理解できないのは「ほんでなんかあるの?」ってことなのね。おそらく、狭い範囲なら口コミとか知り合いのツテのほうが確度が高いんじゃないのかい。


たとえば、サン・フランシスコとシカゴにものすごく変わった趣味の人がいて、普通だったら絶対に知り合わないけど、ネットのおかげで知り合えましたとか、そういうことなら分かる。似たようなことは日本でもあると思う。(昨日は、「TwitterFacebookを使って男女とも浮気相手を見つけて遊ぶ」話を外国の新聞記事で読んだ)


でも、狭い地域でSNSってなんか意味あるかというと、おしゃべり以上のことはできないし、実際のところその知人も顔なじみの知り合いとおしゃべりしかやってないんですよ。本当に大事なことなんてFacebookに書けるわけもなく。だったら、別にネットでなくても、近所の安い焼鳥屋でも構わんわけでね。


海外の知人友人を見ていてもそうで、Facebookを利用してる友人たち(特にハタチくらいの人たち)は好きな動画をリンクしたり写真を貼り付けて遊んでるだけで、それ以上のことは何もやってない。


ようするに、基本的にそれ以上のものではないんで、TwitterなりFacebookなどを「メディア」扱いされると、僕なんかはびっくりする。

もっとも、政治的扇動の道具としてのTwitterソーシャルネットワークという側面は確かにあって、僕の勘ではブログより強力な感じはする。実際、大いに利用されて、効果があった(らしい)わけで。つまり、その扇動の相手って普段は動画張ったりおしゃべりしてるニーチャン・ネーチャンたちであって、彼らを乗せて煽ることも可能だ、というわけでしょ。


でもTwitterFacebookは使えると言ってる人たちが、単なるおしゃべりかせいぜい政治的扇動にしか使えないおもちゃを宣伝することに責任を感じているかというと、たぶん感じてないだろうし、宣伝するわりに現実にスペインの広場に若者を集める程度に扇動するほど本気でもないみたいでしょ。


たとえば実際にネットによる政治的扇動を日本でやって見せたら、彼らは責任取ってくれるんですかって。おそらく、使える使えるっていうからやって見たらデメリットのほうが大きかったという話で終わると思うんだ。僕は、ネット上の政治的扇動なんて人権擁護法案反対運動だけでもうお腹一杯ですよ。あのころは、TwitterFacebookもまだ利用されてなかったけどね。


しかも、たとえば反原発デモだっつって、ちゃんと仕込みや準備をしていたかというと、そういう気配が全く見られないんだな。あれだったら人権擁護法案反対運動を扇動してた連中のほうがよくやっていた。なんでネットの人たちは、どうやって政治的扇動をやればよいかを反原発デモの人たちに教えてやらないんだろうか。


他方で、たぶん、ネットを使っているインテリの連中というか、いうなりゃ「シノドス」の執筆陣とかあれが好きなタイプの人たちって、本当にリアルに影響を与える気がないでしょ。そこまでやる気はない。ネットで放談している方が楽だから。
 

結局、扇動の道具が目の前にあって「使える使える」という人たちも、扇動の道具に魂を入れるべき人も、みんな放談だけなんだよね。だったら、おしゃべりの道具にすぎないと割り切ってしまった方がよろしいよ。

そう考えると、日本の場合、彼らはこういうものをつかって本気で政治的扇動をやろうとせずに、単に「有名人」による「支持者」集め程度にとどまって、ネット○○派程度で収まってるのはまだましなのかもしれない。


こういう風に見ると、ネット○○派って軽い扇動に煽られた人たちという見方はできて(ネット右翼はもろにそれだと思うんだけど)、各種の扇動に煽られた人たちがグループを形成しているんだということ、なのかなと。


ただ、この程度のネット○○派でもゲンナリするんだから、本気で政治的扇動をネットでやられた日にはいったいどうなってしまうんでしょうかね。ぐへえ。

追記2)
以下、単なる妄想・陰謀論。というのも、人権擁護法案反対運動とは何だったのかという問題があって、ネットにおける政治的扇動によって生まれた勢力がリアルの実力に(わずかとはいえ)転換できた、唯一の例だったんじゃないのかなと思うんですよ。たぶん、他の○○反対運動や政治運動は、どれも吠えてるだけでうまくいってないと思う。あるとしても、そんなにないはず。


個人的には、人権擁護法案反対運動は、最初の火つけ段階からか、あるいはたまたま2ちゃんで火がついたのを利用したのかよく分からないが、当時の保守派がかなり意図的かつ実験的にネットを煽ってリアル集会まで持っていったんじゃないかという疑いを僕は強く持っています。そういう疑いを持ちたくなるくらい、ネットを煽ってリアルに持っていく流れがよくできていた。当時は小泉政権下、安倍さんはまだまだプリンス、保守派は元気な時期だったと思います。(で、たぶん、一定の成果は得たけれど、頑張って煽ったわりには人員が集まらなかったので、まあそんなもんかという話になったんじゃないの、、、という妄想&陰謀論)あれに比べたら、こないだの東京の条例改正反対運動なんてのは、たかがオタク相手のしょぼいネタだった。


まあ、陰謀論は冗談としておいておくとしても、ああいう扇動を目の当たりに経験すると、ネットの政治的扇動・政治運動なんて百害あって一利なしとしか言いようがないと、断言せざるを得ないんですよ。それくらい本当にひどかったし、またあんなひどい扇動にうかうか乗るのが結構いて、しかもいまだに生き残ってるネタなんだからたまったもんじゃないわけで、あれよりもっと強烈な扇動を良かれ悪しかれやるとしたらもう。想像するだけで死にそうになるな。