たとえばの話

Twitterで「有名人」の類を見てるとおかしなことが少なくないという印象をもった。これが無名の一般人なら、またまたーで終わるんだけど、「有名人」だとやっぱり何か言いたくなるものがある。それは「有名人」の類そのものを問題にしてるというよりも、むしろ彼らについていく無名の一般人たちに、一歩立ち止まってほしいからという意味で。

仮に、AさんとBさんがいるとする。Aさんは支持者が多いんだが、なんだかホントかウソか分からない話が多いし、煽りまくるので評判が落ちた。Bさんも支持者が多くて、一見まともそうな情報を流していて評判は落ちない。


ところで、Bさんはあるテーマになると随分な論拠でネットであおり記事を書くんだが、Aさんと違うのは文体が落ち着いていてもっともらしくみえるというだけで、実際のところやってることはAさんと同じである。


こういう場合、どうすればいいんでしょうか。


僕だと、どちらも同様に扱うべきだと思うんだな。Aさんにも多少は参考になることがあるかもしれないから全部捨てない方がいいかもしれないという程度の留保はつけておきたいし、Bさんのほうもひょっとしたら多少は参考になることがあるかもしれないから一応留保はしておく程度でよろしいんだと思う。


あるいは、いっそのこと面倒だからどっちも捨てるという手も、ありでしょうね。どうせネットでは「おしゃべり」しかできないんだから。

ところが、これがネットの不思議なところなんだけど、Aさんのへ悪口は多くの人が言えるのに(一般的に評判が悪いので)、Bさんへの悪口は言いにくい(Aさんほど評判は悪くない空気があるので)、みたいな現象が起きる。Aさんへの悪口は問題視されないのに、Bさんへの悪口は問題視されたりツッコミが入ったりする、と。


こういう扱いの区別を結構なレベルの人もやってしまっていて、しかも疑問に感じないどころか、下手をすると扱いの区別が是認されて、これに疑問を言う側のほうが変だ、みたいな言い方をされたりする。


で、問題は、これは単なる党派性の表れだったり、あるいは党派性の萌芽にすぎないんじゃありませんか、そしてそのことによくよく自覚的であるべきなんじゃないんですかということに尽きる。ところが、AさんとBさんの扱いの差、ダブルスタンダードぶりが、たいていの場合あまり自覚されないものらしい。


よく、はてサが「自称中立」と揶揄したり、うっすら右に染まったような人の意識の希薄さを問題視するけれど、この議論そのものはもっともで、自分の党派性には一応、それなりに、なんとなくでも自覚があったほうがいいんだろうと思う。自覚したうえでダブスタをやるのであれば、時には冗談になるし、あるいは自分の発言の限定限界を意識することが可能になりもするわけで。


ところが、党派性への自覚が希薄であった場合、自分の振る舞いが党派的だと考えずに、AがおかしくてBはいいという形をそのまま是認してしまうとこれは問題だ。ようは、扱いの区別をつけるための基準があるはずなのに、当人にその基準に依拠していることが良く分かってないことを意味する。


そうなるとどうなるか。ダブルスタンダードを無自覚に是認するような振る舞いそのものが、「自分(たち)は正しい」意識の発露につながりうる。なぜなら、AとBとの扱いの区別は、ダブルスタンダードを自覚しない場合、その区別の基準が客観的あるいは一般的なものであると錯覚したうえで振舞っていることが少なくない。ダブルスタンダードに無自覚なのは、えてしてその基準が一般的なものであると錯覚するからで、だから扱いの区別が是認できて、そういう区別をする自分(たち)も正しいという議論になる。自分は間違ったことをやっていないという議論が非常に組み立てやすい。


一番分かりやすいのは、ネット右翼が「愛国心は人間の自然な感情」みたいな物言いをしていたような場合で、「自然な感情」ということはつまり、人間ならそうであって当然だ、必然的だという意味合いを含んでいて、党派的な発想・原理だという理屈にならないようになっている。他のネット○○派の例はあえて出さない。

ところで、AさんとBさんの例題に戻るけれども、この二人の流す情報の信頼性は現実にはいったいどうやって担保されていると考えますか?という問題がでてくる。つまり、扱いに差が生じる理由は、信頼性に差があると少なからぬ人が考えているからでしょう?と。では、その信頼性の差って実際のところどこにあるんですかと。


発言の中身だというのはおそらく嘘で、、、いや、嘘ではないかもしれないが不正確であって、、、相当程度キャラやイメージ、文体の調子で「この人は信頼できる」みたいな感覚で決めてることのほうが多くはないか。そういう要素に依存している割合が結構大きいんじゃないか。発言の中身が突拍子もない場合はともかくとして、結局そういう外装のほうで左右されることが多くないか。


で、面白くなるのは、評判の悪いAさんの支持者から見ると関係が逆転して、Bさんの悪口なら平気で言えるけどAさんの悪口は言いにくくなる、みたいなことがあるかもしれない。Aさんの評判が悪いというのは、たまたま僕のみた範囲ではそうであったというだけで、別の世界から見ると見える世界はまるで逆であろうかと思う。仮にそうであったらどうなるか。


ちょっと立ち止まってほしいと時々感じるのは、こういう部分でもあったりする。