ネット○○派 part256 ニセ科学批判の人に「ニセ科学対策」って本当にできるのかい

某所で「ニセ科学対策」みたいな言葉を見て、ふと思った。ニセ科学批判に「ニセ科学対策」て本当にできるのか。「対策」というなら、「何のために」「どうするか」を考えなきゃならない。


まず、被害の抑止を目指すなら、詐欺防止とか犯罪予防とかそっちの方にいってしまうはずだから、科学者に問題提起はできても、それ以上のことは難しいだろう。


ニセ科学の知識の普及を目指すなら、まあ、学校の先生とかはご自分のできる範囲でやれることはあるような気もするね。だけど、どう考えたって教育の本筋はニセ科学対策じゃなくて、高校の知識の復習確認や大学で勉強できる基礎的なところをきちんとやるべきであって、ニセ科学の知識って寄り道にしかならない。


それだけならまだしも、懐疑主義や科学的懐疑まで伝えたいと考えるなら、ホメオパシーはダメで漢方・鍼灸は是とする人たちにそんなものが教えられるわけがないんであって、「滑稽」以外に言葉がない。


たびたび書いているが、本気で海外の疑似科学批判や懐疑主義を日本に持ち込みたいのであれば、日本のホメオパシーを叩いても意味がないんで、漢方・鍼灸のほうを叩かないといけないし、その視野には葬式仏教批判も当然入ってしかるべきなんだな。あちらの懐疑主義者たちはキリスト教をかなり茶化してるしね。


ところが、ニセ科学批判はそこまでやらない。ホメオパシーと漢方・鍼灸ダブスタもそうだし、ゲーム脳は叩くけど脳トレは容認するというダブスタも結局おなじ路線で見られるべきであって、つまりその場の空気なり最大公約数的にみなが「けしからん」と言ってくれるようなものを対象に、科学を建前にして叩いてるだけで、ニセ科学批判とネット右翼は同じだという所以はここだ。こんな議論で懐疑主義を教えられるわけがないし、むしろニセ科学批判をネタにしたらウソを教えることになる。


・・・いや、放射性物質の話ができる物理の先生や、いわゆる「理系」の人たちが、ニセ科学批判のこの欺瞞が分かんないんだから。人間は不思議だと言うほかない。