ネット○○派 part258 無題

鍼も漢方も誤りというか、鍼にいたっては海外の懐疑主義者は批判的であるので、日本でも誤りは指摘して正すのが科学者の役割だ、という議論にはならないのね。


で、そこが問題で、だからネット○○派になるんだけど、これが理解されないな。


そもそも何でニセ科学批判をとりあげたかというと、政治ネタは基本的に飽きたからだとこれは散々書いている。ネット右翼の真似ごとみたいなことはやっていたし、ブログの炎上もさせたこともありました。


ネット上の徒党を問題視するのは、基本的にそういう背景があって、ま、本来ならばネット右翼なりはてサなりを叩けばよろしいんでしょうが、しつこいけれども、飽きた。


リフレ派も相当問題だとひそかに思って片目で眺めていたが、案の定な状態になったのはご覧の通り。このへんも書いた。


で、ここまでは分かりやすいんですよ。ネット上の徒党の問題点が露骨に出てるから。パッと見でも分かりやすい。


ニセ科学批判が以前、「科学教」呼ばわりされた時の反応を見て、ああこれはいけないなと思って突っ込んだんだけども、これは分かりにくいんだよね。


一つはニセ科学批判を主導する人たちのキャラと信頼。専門家としては信頼できる人たちだから、そこで安心してしまう。「だけど・・・」みたいな部分がすっとばされやすい。つまり、キャラとして消費される。この辺は、おそらく他のネット○○派も似たり寄ったりで、違うのは専門家としての信用度の部分だと思う。


二つ目は、懐疑主義だ海外ではどうだというけれど、日本のニセ科学批判と海外の疑似科学批判はそもそも文脈が違っているのに、その辺はおざなりというか、もしも海外の疑似科学批判をそのまま日本に持ち込んだらどうなるかということは考えない。何度も書くけど、本当に疑似科学批判やるなら、鍼も漢方も批判しなくてはというか、そちらの方が主流になるのが当たり前の文脈なんで、葬式仏教も当然批判する。実際はそうならないだけでなくて、そこが分かりにくい。


ズレが理解できたら、ニセ科学批判の言ってることも鵜呑みしにくくなると思うんですよ。というか、あんな無駄議論する必要はなくなる。


三つ目は、市民としてどうこうと言い出して、だからああしようこうしようと言うのか、それとも科学者としてこうしようというのか、二股がけしていて、絶対に負けない理屈を作っていると、これも常々書いている。科学としての誤りと世間の道徳の二段構えの理屈だから絶対に負けない。科学者は誤りを指摘することはできるだろうけど、社会的にどうこうとなるとそれはもう政治活動の分野に突っ込んでるんだから、そういう団体でも作って立場を明示して活動してくださいとしかいいようがない。限界を平気で乗り越えて、乗り越えた部分は「一市民として」なんだから、かなわない。


このへんをすごく安易にというか、気軽に考えているのもニセ科学批判の特徴で、はっきり言えば科学の専門家としての信用を変な風に利用しかねないかたちになっているんだけど、その自覚がないらしいんだよね。


三つ目なんか特にそうなんだけども、やっぱりみな善意なんですわな、結局。だから疑問を持たれにくいし、何が問題なのか見えにくくなっている。


原発で無茶を言う学者とか、まあ早川先生みたいなのとか、さすがにああなると社会意識しかなくなるので非常にはっきりして分かりやすくなるので、ネット的にはおいしいネタというか、非常に叩きやすい対象になってね。普通の状況ならね。


でも、本当にあの人たちのことをニセ科学批判が笑えるかというと、笑えないと思うな。科学で差別は許さないとか言って、もうそこで頭が止まっちゃうのがニセ科学批判でしょ。原発界隈と違うのは、議論の精密度正確さだけでね。基本的に発想の型が一緒で、ニセ科学批判を叩いていた早川先生がものの見事にニセ科学批判のほうに行っちゃうあたりは笑わざるを得ないよね。もっとも、あの先生の気持ちは分からんことはないんだけど。


そのうえで、これらの部分をすっとばして、「誤りを指摘して正すことの何が悪い」と開き直ってまとまっちゃったのが問題なんで、今はこういう状況だからあれだけれども、またひょんなことで一般の人がおおっぴらにニセ科学批判に文句を言いだしたとき、周回遅れとか何とか言い出すはずだと思う。それが結果的にネットの空気というか世論になってしまうかもしれない。現に、「ホメオパシー」なんて単なる罵倒にしかならなくなってしまった。

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で、以前から変だと思ってるのは、過激というか、まあ、叩いて喜んでるような連中を、本来なら切り捨てるべきなのに、切り捨てないのが変なんですよ。黙認することで、結果的に自派に取り込んでしまおうという意志がどっかに働いているでしょう?


というのも、完全に「運動」になっちゃってるので、勢力は大きいほうがいい。そのためには、一般に引かれるような言動しないほうがいい。だから鍼も漢方も是認して、叩きやすいホメオパシーなり血液型性格判断なりをとり上げて叩くし、スピリチュアルは批判するけど葬式仏教批判になると逃げる。葬式仏教批判しない人がいてもいいけど、そこもつっつくのが懐疑主義者なんじゃないのか。


いや、科学者はどうのこうの言ってるけど、こういうダブスタやってるんだから科学の問題でもなんでもないじゃないかとは常々書いてきたところ。そこにウソがあるわけでしょう?そしてウソを仲間内では是認するようになるから、徒党になり派閥になりするわけでしょう?


問題はそこなんでね。ネット○○派が問題なのは、「自分たちは正しい」で集まったものがワイワイやりながら、結局「自分たちの」正義の押しつけにしかならなくなった。結果、孤立した場合に、ネット右翼にしろリフレ派にしろ、自家中毒を起こして自滅するということになる。他方、ニセ科学批判の場合は合理性に対する信頼があれで緩いでないと思いこんでるはずなので、余計に厄介だし、普通に見たら理屈が歪んでるように見えないと思う。


ニセ科学批判が救われてるのは、ネット右翼ほどバカになるには教養がありすぎ、リフレ派ほど社会問題で興奮するには社会から離れている、みたいな部分で多少救われてるだけで、根本的には同類。「自分たちは正しい」でネットで集まって、議論にならない無駄議論やって、自分の正義を押し付けると、そういうことに大きな疑問を感じない、疑問を感じさせないネット○○派だと思う。


だからねえ。リフレ派やネット右翼やはてサへの疑問はよく見るんだけど、ニセ科学批判は特におおっぴらな批判は見なくてむしろ、賛同する人の意見を見ると、個人の自由だから構わないけど、いやここまで問題点が分かりにくいものかと思ってしまいますな。ネット上の現象としては根はどれも同じなんですよ。