ネット○○派 part252 ニセ科学批判の分かりやすい矛盾のあらわれ

多分誰も書かないだろうから書いておこうと思う。
現代を生きるための科学リテラシー(ニセ科学問題と科学を伝えることなど)
菊池先生のものなんだが、端的にまとまってて、ニセ科学批判が矛盾してるのがよく分かるようにできています。


以前書いたように、菊池先生のそもそもの発端はオウム事件にかかわることで、問題意識はそこにある。だから

日本人、とりわけ科学教育の関係者はオウム事件清算したか
科学的・合理的思考を伝える努力はなされてきたか

というところは、実に分かりやすい。


ところが、ここに錯覚があって、

オカルト・超常現象・UFO など

陰謀論
・世の中を誰かが陰であやつっていて、それを自分は知っている、という妄想
・アポロは月に行かなかった

9.11 同時多発テロは米政府の自作自演

俗流スピリチュアル
・江原・細木
 ・ズバリ言われたい
 ・とりあえず、霊のせいにしておきた

の項目が「周辺の問題」になっている。。。いや、それ、周辺の問題じゃないから、と。擬似科学批判として考えたら、オカルトが周辺の問題にならないのは当たり前なんで、そこで理屈がずれてるんです。


何が問題だったのかというと、おそらく最初の問題設定がおかしかった。「科学的・合理的思考を伝える努力はなされてきたか」というのは一見その通りなんだけど、自然科学を勉強したら、どんな現実にも物事にも合理的思考ができるようになるかというと、そういうわけでは決してなくて、おそらく話は別です。


つまり、オウム事件をきっかけとして「科学的・合理的思考を伝える努力はなされてきたか」という問題意識を持つ背景には、自然科学をきちんと修めればオウムみたいなオカルトにはまるはずがないではないかという考えがあるはずなんだと思う、、、でも、本当に自然科学を修めれば「科学的・合理的思考」ができるようになって、オカルトにそまらないんだろうか?


ま、はっきり言えば違うと思うんですよ。両者全く無関係ではないだろうけど、でもはまる人ははまるんだと思う。


というのも、自然科学を勉強した人たちが言っている「合理的思考」とか「論理性」というのは、自分の専門分野において通用する合理性であったり、あるいは自然科学の作法に則った範囲内で通用するものであるけれども、その範囲の外を一歩出るとどうかというと、これはよく分からなくなる。専門分野では合理的かつ論理的に考えられる人が、別のところでは無茶苦茶だなんて、そんな特殊な話じゃないでしょう?


そこで、本当に「科学的・合理的思考」を尊重したいのであれば、オカルトや陰謀論の類がむしろ中心にくるのが理の当然であって、「周辺の問題」として片付けることはできない、という結論になるしかないんです。


しかも、ニセ科学批判はいつも宗教の問題から逃げるんだけど、伝統宗教はよくてオカルトがダメだという根拠はあんまりないので、当然批判対象に入ってなきゃおかしいんです。


ことの発端のひとつがオウム事件なのに、宗教批判どころか、オカルトは周辺の問題扱いにしてしまうのは、全く理が通らない。

・・・

そこで、いや、科学の分野に限定してるから、というのであればホメオパシーの扱いはなんだということになる。科学として間違いと、世間の道徳観に反するからとか行政・警察の問題に関わるところまで首を突っ込んで、糾弾する。もうそんな限定なんてとうの昔に取り払われてしまっている。


で、漢方・鍼は許容するので、「科学的・合理的思考を伝える努力」なんて当初の問題意識は完全に吹っ飛んでしまう。いや、みんなよくこんなのにひっかかるよね。。。

・・・

言い方を変えると、最初の問題意識のところに、科学をきちんと勉強すれば合理的・科学的思考が身につくはずなのにという前提があるようだけど、その前提そのものを疑ってかかる必要があるわけで、にもかかわらず、疑われていないでしょ。問題はそこですよ。


だから、ホメオパシーバッシングなんかでも、自分たちの主張・ポジションの矛盾に全く気がつかない。自分は合理的思考ができていると信じてるので。ひょっとしたら自分たちは専門分野以外では素人同様かそれ以下で、合理的に物事を考えることができないかもしれないとは思わない。


問題はここなんですよ。だから、無駄にホメオパシーバッシングが正しいと信じ込めてしまう上、バッシングが主になってしまって、「科学的・合理的思考を伝える努力」という当初の問題意識から完全に逸脱する結果になった。


この問題が克服されないと、たとえばの話、放射性物質の不安に怯える一般の人たちに対して言葉を届けようとしたって、まあ無理ですよ。自分は合理的で科学的な考え方を専門分野以外でもできているはずだと信じて、何か言うと「間違いを指摘してるだけ」「子供が死ぬ」と言って脅す人間たちの言うことを誰が信用するんですか。

・・・

こういうとなんだけど、菊池先生の問題意識そのものはよく分かるわけで、それはよいのです。あと、911陰謀論批判とか「それ政治的ポジションから言いたいだけだろ」とか、突っ込みたくなるけどやめておきます。大筋とは関係ないので。


以下、冗談。一応理系に区分されるはずの鳩山前総理を思い出せば、スタンフォードを出て学位も持ってて、実際に学者もやっていたにもかかわらず、全くの「宇宙人」であったこと一つとったって、合理的・科学的思考なんてそう簡単に「伝え」られるものなんかと思うし、立派な英語をしゃべれるだけの教育を米国で受けたんだから、ようは日本だけでなくて、どこでもそんなものなのだろうという結論が一番もっともらしく思われるんです。


かくのごとくで、やっぱり、ニセ科学批判って随分ねじれた話なわけですよ。

追記
このへんのことは、このブログではもうかなり以前から言ってんだよな・・・
合理性への素朴な信頼感 - 今日の雑談

何を言いたいかと言うと、合理的な思考の重要性は否定する気はさらさらないとしても、かといって合理性さえ磨けばカルトに引っ掛からなかったはずだみたいな考え方に賛成できるほど、あたしは素朴でない。

もう、こうなると最初っから話がずれてるので、そこから語らないとダメですよね。オウム事件を意識するのはいいけれど、、、みたいな感じで。