ネット○○派 part251 感心

ネット○○派 part249 ネット○○派の意識のありようと必要な余裕 - 今日の雑談

そこで浮かび上がってくるものって、結局いつもかいている「自分は正しい」「間違っているこいつはけしからん」というネット民の意識そのものなのであって、扱っているものが本当に「正しい」か「デマ」なのかというのは、あまり関係がないんだろうと。「メルトダウンは起こらない」の場合、たまたま「デマ」だといってた側が実は「デマ」だったというに過ぎないのでね。


もうちょっというと、ここまで来ると、「正しい」とか「間違い」「デマ」と断ずる根拠って、その人の心理とか好みとか「信じたいものを信じる」という極めて主観的・心理的なものに依存してしまってることが、いつもより余計にはっきり明白になったわけです。そうなると、「安全デマ」みたいな言い方をして煽ってる側だって自分たちが正しいと信じているわけで、本当は両者ともども同類なんだろうと思うんですよ。

ネタは何でも、今はこういう意識をネット上でよく見ることができるという状況ですよね。事態が事態だから。で、いろんな人の意識がいろいろ浮かび上がってくる。


ただ、面白いなあと思うのは、この人はまあまともだろうと思っていても、ホメオパシー批判については全く疑問を感じてないのよね。これが不思議というか、面白い。


・・・お前が間違ってる可能性はないのかといわれたら、そりゃそうかもしれない。でも、本来詐欺とかなんとかで、警察なり行政のお世話になるべき問題だとすれば批判もその筋で行われるべきなのであって、科学の問題とは別に考えておく必要があるのに、それが分からないんですよね。科学の次元・欧米の擬似科学批判の次元で語るなら、日本では漢方や鍼を語らなければならないのにといつも言っていることは、まんざら間違ってないと思うんだけども、そこもスルーされてしまう。文脈のずれが全く意識されないまま、「正しい」側について気がつかない。Twilog を見てるとうーんと唸りますよ、やっぱり。他の話題だと私も理解できるのに、ホメオパシーになるとダメで、まともそうな人文科学系の学者でも「ホメオパシー」とか「ホメオパシーみたい」という表現を完全に悪玉の代名詞として気軽に使ってたりしますよね。


いや、このあたりはいわゆる「文系」の情けないところで、ちょっと海外の擬似科学批判団体をのぞいたらどういうものか分かるのに、そういうこともしないんでしょう?だから、ニセ科学批判が語ることを鵜呑みしてしまうし、内部でも外部からもきちんとした批判がとどかない。


だから。僕なんかが感心するのは、日ごろ「自分は正しい意識を過度にもつのは危険だ」と考えているらしい人でさえも、科学と社会問題・世間の道徳との二股がけの論理の危なさが分からないという錯覚、見事なぶりの錯覚というべきでほとほと感心しています。


でも、日ごろから読み手に信用されてるらしいだけに、この錯覚のままでいられると困るんだけれども。