ネット○○派 part244 「正しい」ポジションに乗っかればよいというものでもないのではないかという疑問

ま、特になんってことはないんだが、震災後よく見る言葉に「デマ」というのがありまして。いや確かに「デマは良くない」と言われたらその通りなわけで、デマを否定するとかその手のことをやることに特に文句を言うわけでもないです。


ただねえ。見てると、こう、ちょっと違うんじゃないかと疑問を感じなくもなくなってきた。


「デマは良くない」「デマを正そう」というポジションそのものは正しいわけです。


では、その「正しい」ポジションにみんな安直に乗っかればよろしいかというと、そういうものではないんじゃございませんか?という疑問。

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このあたりは、震災以前に、東京都の条例改正反対派ヲチに対する危惧についてちょっと書いたことに通じている。条例改正反対派が相当変だったので、彼らを批判するとか間違いを正すことそのものは「正しい」わけですが、ではさて彼らのおかしさにどこまでもついて行くと、今度は条例改正反対派を批判してきたほうがだんだんおかしくなってくる、気配がもうあった。一言で言えば、条例改正反対派をバカにすることが主目的になりかねないところにきていたように見えた。
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震災後はもうそれどころでなくなったので、どうなったのか存じませんけどね。まあ、たいして変わりないのでしょう。

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震災後見ていて、リフレ派のほうがはるかに問題が深刻だったんだなあとやや呆れつつも正直言って驚いていて、もっとリフレ派に文句を言うべきだったかとも思ったんだが、それでもこういう状況を見て思うのは、「ポジションや立場そのものの正しさが必ずしも全てを肯定するわけではない」ということを浮かび上がらせるのに、ニセ科学批判というテーマはそれはそれで意味のあるものだったんじゃないかな、ということですよね。


なにせ、ニセ科学批判が「科学的な誤りを指摘してるだけ」と言ってる範囲では間違いでもなんでもなくて、むしろ正しいのであって、にもかかわらずそこから行き過ぎるところに、そしてその行き過ぎを積極的に肯定する、あるいは行き過ぎている自覚がそもそも皆無なところにニセ科学批判の問題があったし、徒党やダブスタからネット右翼と全く同じ問題が生じたのだというのは、繰り返し書いてきたところ。


ネットの徒党、ネット○○派の「自分たちの正しさを確信するあまり、自分たちの何が悪いのか分からない」「ネットの徒党が、自分たちの確信を強化するようにしか働かない」という罠に、はまっていったわけです。


「デマを問題視するポジション」も、今のところは問題視するような段階にまでなっていないけれども、そのポジションの「正しさ」によって過度に自己正当化し始めた場合、おそらく同じ事になるだろうと思っています。そして言い始めるんじゃないですか、「ウソはよくない」「誤りを指摘することの何が悪い」「子供の命がかかっている」云々。


このあたりの問題意識を持ってる人が、ネットにはあまり多くないらしいんですよね。シノドスがらみの先生とか分かってない人がいるようだし、というか、そもそも誰も興味がなく、大きな問題だとも思ってないんでしょう。


いや、まあ、所詮ネットの徒党だから、リアルに影響と言っても非常に限定的なので、「大きな問題」とは言えないのはよく分かっているけれども、しかしね、みたいな部分。教養があろうがなかろうが、政治的に右だろうが左だろうが、同じようなことをやって似たような罠にはまっているのを見ると、問題意識として持っておくことそれ自体に少なからぬ意味はあるのだろうと思いますね。


表現の自由とか、ネットの自由とか、そういうことを大事に考えるのであれば、なおさらの話です。