ネット○○派 part218 ネット○○派はみな同じ

ネット○○派 part215 恣意的に「世間の道徳」を振り回す人 - 今日の雑談
東京の条例改正反対派へのヲチというか批判してる人たちを見てるんだけど、もう反対派をいじめることに意味がなくなってて。。。なんかすごく簡単になってますよね。反対派の場合、デマやウソで煽って、どうにもならなくなってどうにもならなくなって「『言論の自由』聖戦士」化してるので、はっきり言えば叩きやすい。

で、いきなりこんなTweet見たらどういう反応するのが普通か。

でも、やっぱり僕がこの改正案に不快感を覚えるのは、軍国主義化への一歩に見えるからだな。たぶん、そうだ。

そこらのねらーが言ってたら格好の茶化しのネタになってる。でもこれを、大阪大学の教授でニセ科学批判の第一人者が言ってんでしょう?
http://twitter.com/kikumaco/status/10595740391


菊池先生だけじゃなくて、ニセ科学批判の主だった人たちは条例改正にたいした考えもなく反対した。たんに変なヲタクの煽りに流されたか、抵抗しようとしても結局流されただけで。で、現実にはこういう人たちの言うことは気分や雰囲気や肩書きで信用されちゃうわけだ。


僕を信用しないのは結構だけど、じゃあ、条例改正で軍靴の音が聞こえると言う人を信用する根拠はなんだ。もう根本的におかしいんだよ。

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条例改正反対派に批判的であることについて、改正成立前のころのような意義って、もうなくなってるんですよね。あのころの反対派はひどかった。でも今はそうじゃなくて、もうほんとにおかしいのしか残ってない。だから、叩きやすいものを叩いて馬鹿にして喜んでるだけ、みたいな感じになりやすい。危ないところにあると思う。


他方でニセ科学批判の場合は、条例改正反対派と違って、言ってることそれ自体はそんなにひどいことは言ってない。ホメオパシー批判だってそれ自体は間違ってない、もっともなことなのに、ところがこれがネットで○○派になると途端にネトウヨ化する。平気ではてブで徒党ができあがるし、仲間内だけで通用する屁理屈を組み上げて自足する、その屁理屈がおかしいと感じる人間のことは簡単に「あたまが悪い」「これはひどい」。やってることが条例改正反対派と変わんない。。。


むしろ。条例改正反対派と違って、とっている立場がもっともらしいだけに引っかかりやすい上、見た目が科学の問題になっているので、「自分たちは正しい」と思い込みやすい構造になっている。


そう考えると、本当は、条例改正反対派とニセ科学批判を分けて考える理由がない。両者が違うのは、単に、ニセ科学批判はデマやウソをそんなに言わないだけ、無茶するに教養が邪魔してるだけ。


いや、ニセ科学批判はいいんでないの?と思うなら、もうちょっとよく見てみたらいいと思う。今のニセ科学批判はたいして現実に影響力を持ってないだけのことで、理屈だけ取り出せば結構危ないことを言っているのが分かるはずだし、その危なさの自覚がない点が余計に危ないんだということも、分かってもらいたい。ああいうものの考え方がすんなり受け入れられてしまうことのほうが、ニセ科学なんかよりずっと恐ろしいと思うんだが。


そういう部分が、ネット○○派ができあがっちゃうと「こっちが正しいんだ!」ということで興奮しやすくなる。で、仲間内だけで通用する理屈を信じて「これが分からない奴は馬鹿だ」「自分たちは正しい」のある種の選民意識に染まっちゃう。条例改正反対派は頭の悪いヲタクかもしれないが、頭がよくて教養もあるはずのリフレ派やニセ科学批判の人たちに彼らを笑う権利って、ないんだよ。