ネット○○派 part212 ただの権威付け

たまたまTwitter見てたら流れてきたので。ちょっと古いけどね。
科学哲学における線引き問題の現代的展開 伊勢田哲治


ニセ科学批判の人たちは伊勢田先生が好きなんだけれど、科学哲学分野で線引き問題をやるならそれはそれでいいと思うんです。お勉強としても面白いでしょうよ。


ただ問題は、それをニセ科学批判の人たちが扱った途端に、あるいは「ニセ科学批判」として次元が降りてきた途端にグチャグチャになっちゃうことでね。


この手の科学哲学の議論がニセ科学批判に全く反映されてないのは、ホメオパシーは叩くけれども鍼や漢方はまともに叩けないへたれっぷりが証明してしまっているわけで、つまり自分たちに都合よく捻じ曲げた形でしか受容されないんじゃないですか。いくら科学哲学の言葉を使って論じてたって、ダブスタやってることを認められないんだから、意味ないでしょうよ。


・・・何を言いたいかというと、この手の議論が、ニセ科学批判の信用を増すための、いわば「装飾」として利用されているに過ぎないんだろうってことです。ようは単なる権威付け。科学哲学の専門家としての伊勢田先生なり他の科学哲学史家の書き物を読むのは全く問題ないんだけど、権威付けとして自派に取り込んでしまう形で受容されると捻じ曲がるし、捻じ曲がってることすら自覚されない。


そういうことなら、まあ、ニセ科学批判の人たちがいくら科学哲学史の本を読んで議論したつもりになったって、無駄ですわ。

・・・

これが東京の条例改正ネタだったら、法律の専門家が無茶や無理を言っているので、なに言ってんだよってことですむんだ。同じ権威付けであっても。


ニセ科学批判の場合は、もっともな権威はしっかり取り込んでしまって、ニセ科学批判に受容されるときにゆがむのに、その反省がないので、結局ただの権威付けしか残らない。