ネット○○派 part60 ニセ科学批判と「自称中立」問題

ニセ科学批判の問題の一つは文脈をぼかしていることだ、ということは繰り返し書いている。海外の懐疑主義者(団体)や擬似科学批判の扱いを横目でみながら日本流に変えてしまったのは、たぶん、もろに外国の真似をすると日本では強烈過ぎて支持者が増えないからだろうと思っている。もちろん、政治的文脈もあるわけで。


したがって、単に「科学の問題」だとされてしまうと、本当に「科学の問題」だと思われてしまって、文脈がどっかにすっ飛んでしまう。で、「科学」のラベリングで他人を釣っているという意味では、ニセ科学批判とニセ科学の間にたいして差がないというミイラ取りがミイラの話に。


これってはてサがよく言う「自称中立」問題にちょっと似てるんですよね。自分では「僕は右でも左でもない」といいながら、実はうっかり保守的な言説に乗っかっていて「あんたのどこが中立やねーん」、、、とこれが「自称中立」問題だと理解してるけれども。


でもまだいいんですよ。政治ネタの場合は。右にしろ左にしろ、最初は分からない人でも普通はどっかで気がつくはずだし、分かってる人ならすぐ分かりますわね。だから、「自称中立」といいつつ実は釣られてる、みたいな状況はまだ軽い話ですみやすいと思う。


ニセ科学批判ってそういうことがちょっと難しい。


ホメオパシーは科学的に否定されている」とこれだけ読んだとき、ああそうですかと素直に信じるのもまた当たり前の反応で、それはそれでいいんだけれども、でもそういう主張をして運動している人たちの文脈が見えにくい。


つまり。「自称中立」を保つために「科学」のラベリングが利用されている形になっている。そこで、「ウソはよくない」という庶民道徳を挟み込んでやると、簡単に火がつく。そういうもんですわ。

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右翼が右翼であることそのものは何も悪くないだろうし、左翼が左翼であることそれ自体も何も悪くない。むしろ、「自称中立」でいるよりは、自分の政治的傾向を自覚しておくことは大事でもある。政治だけに限りませんわな。こういうことって。


ニセ科学批判が「科学」の名目で「自称中立」を装って、人を釣ってる部分があるんだ、ニセ科学批判の主張や判断のなかに「科学の問題」だけに収まらない部分があるんだから、もしもニセ科学批判に同調するならそういうことを知って同調してくれと言っておくことは、まあ少しくらいは意味のあることなんじゃないかなあと僕は思っている。