ネット○○派 part59 「ネット世論」

もうネット世論の話は語られつくされてるので何も言うことないんだけど、まあ、「物語」を信じてる人たちが一定数いるのよね。「ネットから政治を変えよう!」の類とか。Appleが新しい機械を出すとすぐ買うとかもそうだろうし。ある人が、ネット世論の話はトンデモとの言い争いのようだと言っていたが、そうなるのはどっかで安直に「物語」を信じちゃってるからだと思う。


ただ、昔よりは、タコ壺化がどんどんひどくなってきた印象はある。ネット内異文化同士の直接衝突みたいなのは、あんまり見られなくなったようで、そういう衝突を避けるためにうまく住み分けができるようになってるし、そういう状況にみんな慣れた。ある意味、賢くなったということでもあり、心の平安を保つためには当たり前のことだからそれでいいんだけれども、一方でほしい情報にしか接しないので、自分(たち)の信念が補強される方向にしか働かなくなってる。まあ、あたしのことは全く棚に上げてしまいますが(どーもすいません)。


ある一定の集団内のみでタコ壺化した言説であるうちはまだいいんだけど、何かの拍子でバッと吹き上がったようなときに、その言説を知らない大勢の人たちが釣られる、なんだかんだ言いながらついていく。これがネットの「祭り」とか「炎上」になる。で、あるいは「ネット世論」みたいな物として大きく見える。


そこに「物語」を挟み込んでやったり、あるいは「これはひどい」「こんなことはよくない」の安直な庶民道徳を挟み込んでやると、簡単に釣れる。「誰が見たってよくない」ことに声を上げることは「いいこと」だものね。

・・・

だから、技術が進歩すればするほどネットが危ないものに見えてきて、ますます慎重にならざるをえなくなっていてね。僕はこの問題はネット民の習性や心性の問題だと思っているので、それぞれに工夫して策を講ずるしかないのではと考えてるんだけれど。


たとえば一番簡単な工夫は「自分が目にするネットの言説に同調している人の実数は案外少ないもんだ」と常に頭の片隅においておくことだと思っている。


僕はニセ科学批判の悪口を飽きもせず書いているけれど、でもニセ科学批判に同調する実数はそんなに多くないと見積もっている。たぶん、多く見積もっても500人は超えないだろうし、コアな支持者になると数十人レベルまで落ちてしまうのではと推測している。そう思っていて、ちょうどいい感じなんだよね。


面白くてね。小沢一郎熱烈支持の人がツイッターで「僕の周りはみんな小沢支持だったのに」とか書いちゃっててね。たとえ小沢支持者が500人でも、自分が好きな人だけをフォローしてたら、まあ物足りなくはあるかもしれないが、かなり心強いものを感じるでしょうね。で、実際のところ小沢支持者はずもっとたくさんいるんだからそういう錯覚が生じるのも無理はないわけだ。


なんでしょうね。他人とのつながりをネットに求めるのって、基本的におかしいんだろうと思います。正気でいるためにネット上では他人とのつながりをむしろ減らしたほうが良かったりする。ところがインターネットそのものは他人とのつながりをより簡単にするものだ、、、みたいな矛盾が、なんかありますわ。