独言

自然科学の専門家が正しいことを言うのはいいけど、社会の問題の次元になってもまだ主張を押し通して自分(たち)は正しいとやるから「科学至上主義者」「科学教」とか言われちゃうっての、分かってないんだねえ。自分たちは原理主義者じゃないと信じる理由も気分もよく分かるけど、必ずしも藁人形論法だとは言えないんだよ。


しかも、ホメオパシーは特にひどいってのがダブスタの根拠になってる。「特にひどい」と判断する時点でもう自然科学の学者の限界を超えてるように見える。これ、天羽先生あたりが言ってる「一般人社会人としての責任」論の問題なんだよね。まあ、問題意識としてとか背景にとか、そういうことならまだ理解できるんだけど。


「社会人として捨て置けない」という意味で「特にひどい」と判断するんだったら、近所のおっちゃんおばちゃんでいいわけで、別に科学を強調する必要がなくなってしまう。


こういう屁理屈で、自然科学の専門家と「社会人」との境界を、都合よく行ったりきたりするのが問題で、ニセ科学批判のネット右翼化の理由の一つなんだがなあ。


しかし、あれだ。新聞記者とか、ラジオの人とか、ニセ科学批判はこの程度のもんだって、知らないんだろうなあ。


・・・ということを、某所を見て思いました。


やっぱり、ニセ科学批判を作った人たちは、こんな中途半端なものにするんじゃなくて、欧米の懐疑主義者合理主義者をそのまま日本に持ち込んで玉砕するべきだったんじゃないのかな。。。