ニセ科学批判批判の叩き方

早川由紀夫の火山ブログ ニセ科学を批判すること
はてブは例によって例による反応だけど、早川先生やさしいよ。

科学者でない人が、科学者にああしろこうしろと命じることは、してはならない。

もしニセ科学を定義するなら、「科学を装うが科学でないもの」に替えて、次にすれば実態に合うだろう。1)科学かどうかを問わない、2)科学のみかけをとる、3)しかし現代科学体系と合わない、4)営利行為あるいは反社会的行為を伴う。

僕はこんなことを言うほど優しくない。もっと意地が悪い。



で、例によって「藁人形論法だ」とか言い出すんだけどね。それ、やめた方がいい。はたから見てると、必ずしも藁人形だと言いきれないことが多い。ようは「それ違うんだよなー」と気持ちで反論したがってるだけで、そこで実際にものを言うと「でもでもー」と詭弁というか、かなり無理のある理屈を言い出すことになる。挙句の果てに「ニセ科学に定義はない」とかって話になっちゃう。


最近つくづく思うのは、「藁人形論法だ」という呆れ方をどうせやるなら、たぶん、こういう呆れ方がいちばんよろしいのですよ。


「だいたい、ニセ科学批判に対してまともに批判や文句をたれるのっておかしいんだ。ニセ科学批判ってネットだけのことで支持者と言ってもせいぜい数百人レベルだろうし、論理的にも破綻してる。そんなもの、まともに批判するのってどうかしてない?」


・・・という藁人形論法批判。ニセ科学批判そのものが藁人形的だってわけ。この反論はきついんだ。ニセ科学批判をけなす根拠を逆用されてるから。ま、実際、こういうこと言う人いるみたいだわね。で、「だったらほっといてくれ」と言って最後はしめる。でも、それって子供が駄々こねてるだけだわな。


いや、ニセ科学批判が論理的に破綻してて現実的に無力なのにネットで吠えてるだけなのを認めてくださるなら、それでいいんですってことなんですがね。