地質学者がニセ科学批判を見たら

血液型性格判断に関するHayakawaYukio氏とublftboのやり取り - Togetter
これね。読んでもらえば分かるが、最後はグダグダになってる感じでも、最初はまとも。ちなみに、この早川先生は群馬大学の地質学の先生。
早川由紀夫研究室
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/15669603806

ニセ科学批判の矛先は、科学を装ったニセモノだけに向けるべきである。結論が間違っているという理由で批判を集中するのはよくない。結論が間違っていても、科学の体裁をとっていれば、その存在価値を認めるべきだ。

http://twitter.com/HayakawaYukio/status/15682599056

そうですか?血液型性格診断や水からの伝言は、科学の作法にのっとっていないことよりむしろ結論否定が批判者の主たる動機であるように(私には)みえます。

ごもっとも。科学の過程が問題だなんてのは、ただの言い訳としてしか機能してない。それより、togetterの題名が「血液型性格判断に関する」となってるけど、このタイトル、ひどい印象操作じゃね?早川先生の問題意識はそこじゃないのにさ。


ニセ科学批判で問題なのは、ニセ科学は詐欺だだの悪だだのと、社会悪を盾にして正当化する。これが問題で、多くの「ニセ科学批判者」はそこのところで限界を越えていることを意識してないことは散々書いてきたのでもう繰り返さない。


で、早川先生は天羽先生のサイトを読んで、これをあっさり指摘しちゃうんだよね。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/15738143710

ニセ科学を批判することに対して、「社会規範や道徳まで押しつけるな」と言いだす人が出てきた」とありますが、外部からのその指摘は妥当なものだと私は思います。

http://twitter.com/HayakawaYukio/status/15738257630

社会規範や道徳は科学だけで決まるものではありません。科学とは別の価値観が優先される場合は往々にあります。

そこで、一言バッサリ。

http://twitter.com/HayakawaYukio/status/15738689896

「「消防署員のふりをして消火器を売ってもかまわないだろう」と言う人がほとんどいない(略)のに、話が科学になったとたん「ニセ科学が科学でないのはわかったけど、何を信じるかとか言い触らすかは個人の自由だ」という人がそれなりの数居る」それは、内心の自由に立ち入っています。

ニセ科学で何を言いふらしてはいけないか、どういう限界から詐欺っちゃいかんかという問題を、仮に社会としてみんなで扱えと言うならば、それはひとえに社会の問題・法の問題で科学だけで判断できるもんじゃないし、逆に言うと法律論から行くなら別にニセ科学というカテゴリーを立てる必要がない。消費者問題とかでいいんじゃないの?それでもなお科学だけで判断していいというならそりゃただのファシズム、とこれまた散々書いてきたので繰り返さない。


ま、しかしそこが変だと気がつくわけですよ。普通に考えれば。


で、これがまた腹立たしいんだけど、日ごろやれ論理性だのなんだの言ってるくせに、どっちが非論理的なんだよっ!!って。もう。


ただ、早川先生のこの後のツイートの「書いた人の責任ではなく、信じた人の責任でしょう。いまリテラシー教育が望まれるのは、そのためです」というところは、僕は注意が必要かなと思う。一義的にどっちが悪いというより、もちろんそういう嘘を書く人のほうが悪い一方で、しかしながら読み手のほうもやはり注意が必要なのは当然でバランスの問題でもありましょうね。


あと、早川先生の問題意識は、例によって「ニセ科学批判の内ゲバ」問題につながる話だと思う。菊池先生あたりはきっぱり割り切りたいんだろうけれどもね。そこで割り切れちゃうのは、つまり「結論批判が主たる動機」だったり、悪に対する正義に昂ぶっちゃうからですよ。
ニセ科学批判の内ゲバ - 今日の雑談