ネット陰謀論かくあるべし

ネットでいろんな陰謀論を見てきたし、今でも見ているわけだけれども、陰謀論のパターンと言うのは決まってる。

1 陰謀論者はまず脅威を設定する

サヨクの場合は国家権力、ウヨクの場合は創価から中国までなんでもよろしい。911陰謀論の場合は米国が脅威。

2 陰謀論者はその脅威が実際よりも怖く感じるので脅威を過剰に見積もる

3 陰謀論者は目の前の事象はその脅威によって容易に説明できると信じている

陰謀論がダメなのは、ある事象の説明に際して陰謀論者の脅威の対象が無関係、あるいは関係があるとしても全く別の理路で説明されるべきものであるからダメなのである。それをダメだと思わないのは、脅威を怖がっているからである。

4 陰謀論者は自分の陰謀論を否定されれば否定されるほど自分の陰謀論を肯定する

なぜなら、脅威が根底にあるので、陰謀論を否定されても「それは違う」から入る。そして恐怖の自己正当化を初めて、ますます「理論武装」しだす。

5 陰謀論者にとって本当に大事なのは陰謀論そのものではなく、脅威の罵倒である

陰謀論がダメでも陰謀論者が困らないのは、脅威そのものを罵倒することが目的になってるからだ。たとえば、ネトウヨが中国が、、、と言いだした場合、いやそれは違うと言っても「しかし中国は危険だ」の一言で自己正当化される。

6 陰謀論者にとって譲れない正義は脅威の除去であるので妥協はない

陰謀論者が感じる脅威は、「悪」だからこれを除去することはまっすぐ「善」であるとなる。したがって妥協がない。「危険な中国」に妥協することはそれだけ脅威が増したことになるが、逆にこれを徹底排除することは絶対善となって正義になる。


・・・たいがいはこのトラップにはまっている。だから、こういう議論をしてる人を、僕は「陰謀論的だなー」と思って眺めることにしてる。



なんで人間は陰謀論にはまるんだろう?と思ってこれまた見ていると、要するに性格とか物の考え方のクセに由来してるんじゃないかと思う。というのも、「この怖いものならこうするはずだ」という非常にシンプルな理屈になっていて、つまり陰謀論が成立する大前提が「あるものを過度に怖いと感じること」なんだから、これは論理性を磨けばひっかからないだのなんだのではなくて、性格の問題だろう。


実はニセ科学批判も非常に陰謀論的で、これと同じパターンにはまっているように見受けられる。つまり、「ニセ科学が社会に与える悪」を絶対的なものと見て、これに脅威を感じて、その危機意識のもとでニセ科学批判というものが成立していて、これが成立した大きな原因は菊池先生や天羽先生たちの「性格」だろう。したがって、とくにこの二人が政治的に非常に左、あるいは非常に右だというのは、決して偶然ではないと僕は思うし、これだから妥協がなくなって疑わなくなってるんだろうと理解してる。



ところで、ニセ科学批判はもう飽きてるんだが、最近も陰謀論的なネット党派でいろいろやってるみたいだが、教養も知性もある人たちがなぜかこのトラップにはまっていて、自分たちが陰謀論を語っているのではないかという疑いを持たなくなっているらしい。


どんな意見を持とうが個人の自由なのでそれはいいんだけど、ただただ、人間の不思議さにあきれるばかりというのが正直のところだったり。