ネットにおける人の群れ方

これも、ニセ科学批判を念頭に置いて書いているのではない。まあ、含んでもいいけど、とりあえずここでは違う。


よく、ネット上のあるグループのことを「単に○○という点だけを支持してる人たちだ」と自己規定することがある。まあ、ニセ科学批判なら「ニセ科学を云々という点だけは皆で合意してる」みたいな(くどいようだが、ニセ科学批判を念頭に置いてここでは書いてない)。


これが前からずっと疑問でね。それってなんかおかしいなと。何がおかしいのかよく分からなかったわけ。


で、最近になってようやく分かった。これもやっぱりただの建前になりがちなのだということが。


というのも、○○グループの内部で、その意見を主導する人物の一人に対して、そのグループの本質に関わりながらも、しかし慎重な批判なり疑問なりが提出されると、それでもう○○グループからハミゴにされがちというか、そういう風にみなしてしまう人が現実には少なくない。そして、「とうとう敵の側につき始めた」と認識しだして、、、ようはあいつは寝返ったみたいなことを言い出す。


ところが、その批判者なり疑問の提出者が依然として○○を支持している場合、さてこの人はそのグループに属する人なのでしょうか、そうではないのでしょうか。


答えは、グループ内部のその他大勢が決めます。で、かなりの確率で追放される。と言って悪ければ、そのグループに属するとは認められがたくなるんだと思う。実際、そういう認識を持つ人が少なくないんだから。


としたら、「○○を支持している」だけの緩いまとまり、ではないわけだ。ではなくて、その意見を持つある人を支持するか否か、内容よりも人間関係に依存したグループだと見たほうがいいらしい。


だから、またニセ科学批判を利用・例示して悪いけれど、菊池先生は「ニセ科学批判の第一人者」でストップするし、天羽先生が無茶を言うとその支持者が無理な解釈に頭をひねって自己正当化せんとする、とかね。つまり、中身はどうでもよくなっちゃう。


ということは、「単に○○を支持しているというだけのまとまり」だという建前は建前でしかなくて、実際はそうではないということになる。敵と味方に色分けして、そして味方の人間関係の中に組み込まれたような錯覚のもとにあるまとまりだから、こういうことになるわけだ。


まあ、ネットのこういうのってホントに面白い。実はこういうのって、それこそトンデモだのなんだの、ネットで厳しく批判されがちな人たちとおんなじことやってたりするんじゃないのかなと思ってね。