どんなジャンルでも政治性には自覚的たるべし

この問題、自分には当たり前すぎたのでちょっと驚いてる部分があるのだけれど。


ニセ科学批判とサヨクとの関係は、原理としてどういう関係があるかまではさすがに面倒くさすぎ。でも、ニセ科学批判の合理主義志向と、左翼の19世紀以来の合理主義と親和性があるんだろうなとは思う。このあたりは団塊世代が上手に整理して説明してくれそう。


で、逆方向から言うと、ニセ科学批判を語るサヨクって少なくないわな。


ニセ科学批判の「第一人者」菊池誠先生がもろのド左翼なのは言わずもがな。物理学会で発表させてしまった、毎度おなじみ池内了御大も「資本主義の腐朽が進んでいるのは確かなようである」とか書いちゃう始末(【正論】総合研究大学院大学教授・池内了 「賃金デフレ」の時代に思う/人間使い捨てのワーキングプア(産経新聞) gataro)。ついでながら911陰謀論に走った反米左翼の安斎育郎先生もオカルト批判・疑似科学批判に熱心。


その他大勢をみても、たとえば地下猫さんみたいなはてサのエントリに盛んに賛同のブクマをつけてたし。もし政治要素抜きで読んでたのなら、それはちょっとどうかと思う。



これでニセ科学批判がある政治的傾向と無関係でいられるはずがないんであって、んなものは関係ないと言ってしまうのは相当にナイーブだと言わざるを得ない。横文字のSkepticsだってどっちかというと政治的にはリベラルのはずだし。それこそ「信じるな疑え」でいくと、原理的にニセ科学批判とサヨクとダブる部分があるのだろうと疑うほうがずっと自然なわけで、そういう文脈で読んでやると理解しやすくなることが少なくない。


たとえば池内御大が物理学会で吹いた駄ボラも、菊池先生が「ニセ科学の蔓延」を「社会の病理」と見る理由も、政治的嗜好の部分抜きだとちょっと理解しづらいんじゃないのかな。


じゃ天羽先生はとなると、あの先生はかなり極端な例外。ネトウヨにああいうのがいるのかもしれないけど、僕は見たことがない。「論理」というハサミは誰にでも持たせればいいもんではないというのが率直な印象。


ただ、ちょっと念を押しておくと、ニセ科学批判の全部がサヨクだとか言うつもりはない。ただ、ニセ科学批判の性格にそういう政治的側面があって、それを考えることは必要なことだろうというだけであって、そこを無視・否定するのはナイーブにすぎるし、実際ナイーブ過ぎる人がおそらく多い。



問題は、政治性そのものではなくて、政治性には自覚的であるべきだということで、これはネット右翼の「自称中立」問題で盛んに指摘されたと思う。


ニセ科学批判はこの点でもよく似ていて、菊池先生あたり、ご当人としては政治にはかなり慎重なつもりでも、自分の政治的傾向がニセ科学批判そのものの性格に影響を与えている可能性(あるいはご本人の問題意識のあり方に政治的傾向と重なる部分あるか否かの問題)までは考えてないんじゃないかなぁ。


そう考えると、日本のニセ科学批判を科学分野に限定したのって本当にうまいというか、錯覚を生みやすいという意味では本当に罪作りな話だと思う。支持者を広くとるためにあえてそういうポジションを取っているのは理解できるけれど、いろんな角度から見るとかなり誤解を生みやすい形になってる。


なんにせよ、ニセ科学批判になぜはてサたちが乗っかりやすい(やすかった)のかという問題は、もうちょっとちゃんと考えたほうがいい。とくにノンポリだと思ってる「ニセ科学批判者」の人、ただ単に善良な人たちは、そのことを余計に考えたほうがいい。


それは錯覚することでニセ科学批判という党派のもつある一面の理解に誤解を生じさせるわけだから。