日本人にとって「正しい」ってなんだろう?

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インターネットが鎖国を完成する道具になるなんて何という皮肉だろう! 日本という社会は下を向いて手仕事をするのは得意だがどのような意味においても「情報」を扱うのにいかに向いていないか。この社会では「嫌いな人」=「誤った人」なのだ。汚れた人、なのかな。ムラの団欒に相応しくない人間。

マスゴミ」批判の流れで、日本語の壁に守られている云々とよく言われる。


じゃ、ネットがその壁を打ち破ったかというと、とてもそうは思えない。むしろ、個々人の「日本語の壁」を乗り越えることができずに鎖国が強化されてしまった印象が自分にもあるな。


外国情報を受け入れたらそれなりに比較考量ができて、日本的単一性・日本的同調化圧力を回避することができるんだけど、せっかく情報を入れても、福祉政策は北欧がいい!みたいな、そういうアホな比較が多い。

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日本ではインターネットがムラ社会形成の道具になっているよーだ。一億も人口がある言語なのに、これはちょっと不思議。異口同音というが異口から同音が出るようになればそれはただの愚人の集団である。中国も似た文化があるが人口が極めて大きいので同じ構造が分裂に働く。1つにまでは纏まらない。

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いや、あれは「考えがうつる」だよ。だって観察していると「そうだ、そうだ」と言い合っているうちに意見も変わってくるもの。個人の意識が「集団意識」に変わってくるのね。

じゃ、ヨーロッパやアメリカで同じようなことがないのかというとよく分からないが、日本だとそうだね。


印象を書くと、結局いまの日本人の「本当」とか「正しい」の感覚が独特なんだと思う。ある意味、表層的。


日本人にとって「本当」とか「正しい」って、いわば学校の先生が教えてくれることなんだな。で、試験で点数をとるための「正答」が「正しい」し「本当」である。その程度のものだから、「本当」も「正しい」も日本人って基本的に信じてない。


信じてないけれど、その正しさには保証がいる。そこで、みんなでその「正しい」を了解することによって、「正しい」の正しさが保証されるわけだ。


でも、その「正しい」はただみんなで了解しただけだから、了解が変われば「正しい」もごろごろ変わる。その一番強烈だったのが敗戦だった。


そのうえ、ここで大事なのは「みんなで了解すること」である。そこで「私は違う」と言われると非常に困る。なぜならば、「正しい」「本当」のことであると了解されないと、正しさの保証がされないから。


そうなると「嫌いな人=誤った人=汚れた人」になるのも当然だ。結果的に試験で点が取れればいいんだから、つべこべ言わずに空気を読んで「みんなで了解」してしまえばいいんだし、しかもそれは「よい」ことであって、「みんなで了解」しないKYな人間は「悪い」のである。



これは決して欠点でなくて、日本人の長所でもあると思う。柔軟性や頭の回転の速さとか、日本人の頭のよさにつながってると思う。逆に、もし、たとえばドイツ人と議論したらもう面倒で面倒で仕方がなくなって、日本人にはバカに見えるだろう。


たぶん。横文字のTruthとかWahrheitとかGiustoとかVeritàとか、そういう感覚が日本人にはないんじゃないかという気はしている。まあ、ホラもここまで来ると壮大すぎるのでやめるけど。