座談会に茶々を入れる

座談会はしょっぱなから変だ。

N:疑似科学と言えるものが広がっていますね。血液型と性格とか、UFO とか。
M:マイナスイオンや言葉かけによって結晶のでき方が違うなど。
A:本も売れて、もうかっているみたいですよ。

疑似科学が広がっている根拠を出してくれ、と。水伝でどれだけ儲けが出たのか、ちゃんと書いてくれ。ってか、いまどきUFOもないだろう。スピリチュアル・ブームとかにしといてよ。

Ka:なぜ疑似科学が広がるのかを考えてみると、疑似科学が科学信仰を利用しているからでしょうね。
F:そうですね。科学は、不可能を可能にして、信仰にまで至るくらいにすごいと植え付けられている・・・
M:そういう中で育ってきているということでしょう。

それじゃまるで鉄腕アトムだ。そこまで科学を信じてるのは、おそらくいない。問題は、科学に対する信頼感がぼんやりしていることなんじゃないのかな。


以前、水伝を信じかかったイタ公と議論したことがある。その人曰く、アインシュタインだってはじめはキチガイ扱いだった、科学なんていつパラダイム転換がゴロッと起こるか分からないもんだから、ひょっとしたら水伝みたいなことだってありうるかもしれない。。。と、可能性の問題として捉えてるわけだ。今でこそ、「まとも」とされる学者たちは反対するけれど、将来は分からない。ぼんやりとした信頼感というより、不信感スレスレか。


ちなみにこのイタ公、高校は文系学校でそちら方面は教養豊かで知性のある人だったんだけど、やっぱりこうなんだよね。(同席した日本人は水伝の存在そのものを知らなかった)

Ka:神を軸においた中世から、近代になると神が人間を作りたもうたという物語が失われて、

これは微妙でさ。16世紀・17世紀の物理学って神の創造を思わないと絶対に出てこないよ。科学の真理探究と神の存在を実感したいという欲求とは紙一重の差で、今でも白人にはこの感覚が残ってるように一日本人として僕は思う。こんなきれいに割り切れない。


そう考えると自然科学って本当に日本人に出来るのかとか、「世界と語れる思考方法」と簡単に言えるのかってかなり難しい問題だと思うんだが。

N:そう、誰がやってもそうなるとわかることが重要なんです。
近代になるまでは、アリストテレス以来の物理学によって、物は力を加えることによって動くとの考えが広がっていたのですが、ニュートンは、物が止まるのは摩擦が働くからで、力を加えなければ本来は動き続けると見抜いたところがすごい。

たしか慣性を見つけたのはガリレオあたりだ。。。ニュートン以前から言われてたんじゃなかったっけ。しかも、慣性を発想したもともともたしか神の創造と切り離せなかったのではなかったっけ。

M:疑似科学を広げているテレビの番組はバラエティ番組でしょう?報道とバラエティの垣根がなくなってきている。番組に、博士とか学者とか先生とか権威者が出てくる、権威づけの手法が使われる。

「あるある」は捏造番組でこっぴどく叩かれたのは記憶に新しい。でも、僕が疑問に思うのは、みのもんたの「おもいっきりテレビ」がなぜあんな長期間続けられたのかと。◯◯学会発表と称して一部分だけ切り出して、「医学博士」とか「ホニャララクリニックの先生」にそれっぽい説明をさせて。あれもひどかった。叩いていた人もいたけどもね。でも番組は続いちゃうんだよね。


そこで「疑似科学」というくくりが本当に必要なのかという疑問にやっぱり戻るんだけど、「おもいっきりテレビ」みたいな演出の情報番組に対抗するには、まともな学者がまともな意見をちゃんといえばそれで済む話なんだよな。だって、あの番組の情報は単に間違ってるだけだもの、「疑似科学」という括りが本当に必要になるの?

Ka:そうすると受容する側としては、地動説と疑似科学と、どうやって違いを見分けることができるのだろう?
A:信じるのではなくて、理解する、納得するという言い方がいいでしょうね。理解する、納得する過程での検証がある。

ガリレオの時代に僕が地動説を聞いたら鼻で笑ってたはずだ。当時の「専門家」の多数派の意見に従ってるはずだし、ましてやケプラーの論文なんてとても理解できやしない。そうなると「科学リテラシー」とかってほとんど関係がない。


今、地動説を信じたり、目に見えない原子とその構造を信じるのは、子供のときに子供向けの科学百科を面白がって見ていたから、学校で勉強したからだ。だからそんなもんなのだろうと信じているに過ぎなくて、その前提なしにいきなり「地動説」とか言われてもピンと来てないはずだと思う。


素人に信じるな、理解しろと言ったって、かなりのところは無理な話。「高校レベル」の内容だってまともにおぼえてる一般ピープルはそんないないのに、理解しろと言ったって無理。いいとこ、分かりやすく紹介してもらったものを受け入れるだけ。


で、日本の科学ジャーナリズムってあれでしょ、ジャーナリスト志望には博士をやらないとかって話になるわけでしょう。ダメだよね、そりゃ。