程度の問題・量の問題

血液型性格判断を「差別」と言いきってしまって、だからダメだという論理は、「程度」の問題を度外視してしまっている。。。というのは何度も書いた。


血液型性格判断がダメなのは、「マジなもの」として扱う場合、血液型性格判断そのものがダメな論理だからである。


もう一つ言うと、批判の度合いは批判対象の度合いに応じないといけない。批判の度合いも変化させられなければならない。血液型性格判断が性差別や人種差別と同列に扱えるか。


「この食品添加物は発がん性があって危険だから、これが入ってる食品は危険だ!」という「トンデモ科学」に対して、「量の問題が無視されている」という批判はよく語られるところ。同様の理屈は、どんなことにも言える。