予防接種としての「信じる」

オウム事件を思い出す季節。「疑う」ことに慣れてない人たちがひっかかったのだという人、少なくないみたいだけどね。


僕は、「信じる」ことに慣れてない人たちが引っかかったんでないの?と思うな。ホントかウソかあたしゃ知らないが、ロシアでオウムを流行らしたのは、宗教に不慣れな共産主義圏だからってな話があるけど、ホントかね。これもホラかな。


「信じる」ってつまり予防接種みたいなもんで、子供のころから軽くなじんどくと、大人になってから「ああ、これってこういうことじゃないの」とネタが分かったりするわけ。


それを、合理主義一辺倒、「信じるな、疑え」方式で行くと、逆にコロッとイカレるんだ。予防接種をしてない。そっちのほうが危険だ。なにせ「信じる」とはどういうことか分かってないから、理屈で「これが正しい」で行かれるとそのまま突っ走りかねない。


後から見て、「あの人たちはバカだね」と笑うのは簡単だけど、いや、人のことは言えないと思うよ。とりわけ無宗教を自認する多くの日本人は。