新大学生に一言言うんだったらさ

こういう時期だから、新大学生向けのエントリが人気みたいだけどなぁ。


でも、ネットをしょっちゅう使うようなら、ネットをよく見る高校生なら、たった一つのことに注意すべきだと思う。


それは、「正しい」に酔わないこと。これにつきる。



高校までだったら、世界が閉じていて、学校の勉強も日常生活も、その学校内で割に共通だったりするから、だから「正しい」が明確だし、他人とその「正しい」を共有することがいいことだったりする。


でも、大学以降って、いろんな人と出会うから必ずしも自分の「正しい」だけではなくなる。


たくさん本を読めとか、外に出ろ、勉強しろとかって言われがちなアドバイスは、他人のいろんな「正しい」を知ろう、そして幅を持とうということでもある。



で、「ネットをよく使う高校生」に限定したのは、ネット世界というのは、自分と他人のいろんな「正しい」が乱立している世界に見えるから。ここで「正しい」と「正しい」のぶつかり合いは不毛で、ブログ炎上とかってそういう意味での無意味なお祭りだった。「ネットをよく使う」んだったら、そういう様子も知ってるはずだな。


ここで大事なことって、「正しい」と「正しい」は共存するものだと考えることなんでないの。


いや、僕が言いたいことは相対主義でなくて。


仮に、他人の「正しい」が完全に間違っている場合も、はたしてその間違った「正しい」をねじ伏せるべきかどうかは難しいところだ。「ネットでデマは許してはいけない」とか簡単に言ってしまうけれど、でもはたしてそんな一直線に割り切って論じられるものかどうか、そこの判断は難しい。だって、「デマは許せない」と断定できる根拠ってなにかというと、はなはだ怪しいもの。「許せない」と言ってしまうからには、それだけの害悪がなければ。


そこで、いささかの害悪も許してはいけないと考えてしまうのは、たぶん、若者の正義感(や中年のストレス発散)であって、現実としては悪は悪として受け入れる必要があるんだと思う。


つまり、自分の「正しい」と他人の「正しい」を適当にいなしながら、しかし自分の「正しい」は曲げないようにするって難しいねというありきたりな話。でも、このありきたりな難しさをすっ飛ばしてしまっては、面白くない。


・・・って基本的にコメント欄を閉じてしまってるブログでこんなことを書くのも何かもしれないが、しかしブログと付き合って来て、これでも多少もがいたりしたうえで、この形に落ち着いているわけ。ネット上のコミュニケーションは基本的に無理だと割り切ってるのも、また極端かも知れんがな。



「正しい」に酔うなと言っても、自分の「正しい」を覚めてみてる分にはいいし、むしろそういうものが全くない人間はつまらないが、しかし「正しい」に酔っぱらって、「おー、お前も分かるか、やっぱりそうだよな!」みたいな「正しい」の共有をして、みんなで「そうだそうだ」とやりだすとロクなことがないらしいぞというのは、ネットをそれなりに見てきたうえでの教訓だ。


ネットを見ていて、結局、「正しい」に酔った人が集まってボコるのが問題なんだということで大概のパターンでは共通してると思う。それはかつてのブログ炎上から、ブロガー個々人がそれぞれに賢くなったり、コメント欄も許可制になるなどして、それなりに進化してきた現在は対応はほぼできてるようにも見えるけどね。


でも。やっぱり、問題の根はこれなんだろうなあ、と思っている。まだ当分のあいだはこういう問題は消えそうにないし。



まあ、いい大人がこういうことがいかに問題かよく分かってない、いや、ほとんど無理解だったりすることもあるんだけど、ま、それはともかく、高校生の柔軟な心に何かを言うとするならば、一歩引いてみて善悪をバランスよく見て考えることの大事さと面白さとか、そんなことを伝える一言だってあってもいいんじゃないの。