ようは常識の問題だというイタリアの記者

Corriere della Sera というイタリアの全国紙に次のような記事があった。題して「ホメオパシー:常識の問題」。
Omeopatia o no: questione di buon senso Corriere della Sera
ざっと読むと、2008年5月フィレンツェで、糖尿病の16歳の女の子がホメオパスインシュリンをうたないように言われて、13日間もインシュリン抜きでいたら死んでしまったという事件があったらしい。この事件についての評論。


「残念ながら、ホメオパシーに対しては宗教を信仰するかのような態度をとっている人が少なくない」とまずは嘆いて見せたうえで、記者氏は知人夫婦の経験を紹介している。この夫婦の4つの娘が食物不耐性(でいいかな。intolleranze alimentari, food intolerance)で何も食べられずに死にかかった時、西洋医学の医者は治せなかったものが、ホメオパシーが利いて助かった。それでこの夫婦は信じ込んでしまい、下の娘が肺炎の時にホメオパシーに頼って効果がなく、間一髪のところで普通の医者に診せて抗生物質で命が助かったそうな。


で、この記者が言いたいことはこれ。

Il punto 〓 che non si tratta di porre il problema di ragione o torto, ma di avvicinarsi alla medicina non come a una religione, ma come a una scienza e a una possibilit〓.

正しいか間違いかの問題ではない。医療に接する際には、宗教の如くではなく、科学や一つの可能性を求めると同様に接することが大事だ。


・・・ホメオパシーも利用するまともな医者は、それに頼ってはいけない時を知っているものだし、同様にホメオパシーに批判的な医者もその姿勢は経験や研究で培われた確信に基づいたものであっても、あまり頭ごなしに敵対的な態度はとったりしないものだ。

Le persone diffidino di chi li mette in una condizione psicologica simile a chi cerca di farli entrare in una setta, e conservino sempre il diritto di giudizio e di critica.

あたかもセクトに入信させんとするかのような心理的状況にしてしまう人を信用しないようにしましょう、そして判断力と批判力を行使する権利は常に保持しておきましょう。。。って感じか。ここでいう「セクト」は、ホメオパシー側だけでなくて、普通の医療の側も指す。


コメント欄を眺めると、この手の議論は「何が正しいか」の宗教戦争になっちゃいけないよね、みたいな調子でいかにも「カトリックの国」イタリアっぽい(ドイツ人みたいな議論をイタリアでも散々やってうんざりしてるんでしょうかね)。もちろんホメオパシー批判のコメントもあるけど少ないみたい。ようはバランスが大事、常識の問題だということでおおむね一致しているようである。


ま、イタリア人のホメオパシーに対する最大公約数的なイメージって、こんなものらしい。そう言われてる一面もあるってこと。