「正しい」と過度に信じることの怖さ

久しぶりにニセ科学批判のまとめWiki見ても、わりとバッサリ言ってるところがあって、そういうの、あまり意識されてないんだね。たとえば、これ。
定義にまつわる諸問題 - ニセ科学批判まとめ %作成中 - アットウィキ

もう一つ例を挙げるなら「詐欺との類似」がある。どれほど馬鹿げた内容であろうとも、現実に騙された被害者が存在すれば詐欺は成立しうる。「騙される奴が悪い」という自己責任論にも一理あるが、自己責任論を振りかざすほど被害は拡大し結果として「悪人を利する」事になるだろう。また、殆どの場合、被害が表面化する前段階で既に多数の予備軍がいるという点にも注意を払うべきである。

「詐欺」と言ったとき、それは本当に科学者が科学の立場から言うことか?とか。いや、社会人として言えますという反論は見えるわけだけど、でもそれならなおのこと、警察とか、裁判所とか、司法行政の部類の問題ですよね。「悪人」とか「被害」ってあっさり言うけど、そんな簡単な問題じゃない。


で、そういう簡単ではないことを、自己正当化の一助にしてる、これが問題だってわけ。そういえば敵味方に分ける二分法はニセ科学批判者は好まないって言ってた人がいたけど、あれは間違いだね、やっぱり。まとめとしてこんなの書かれちゃってるんだもの。


あるいはこういうの。
「ニセ科学批判」批判 FAQ - ニセ科学批判まとめ %作成中 - アットウィキ

「たいしたことない」「そんなに目くじら立てなくても」
ニセ科学が広まるのは良いこととは思わないが、熱心に批判するほどのことでもない」と判断する人はいるだろう。それは個人の自由。ただあまり興味がないのなら、わざわざ批判活動を邪魔するようなことはしないでおいて欲しい。別に「お前も批判活動しろ」と無理強いしているわけではないのだから。

菊池先生のセリフとまんま同じなんだが、これってただの独善だ。正しいことをしてるのに、邪魔される筋合いはないって。市民運動や右翼の活動家だって、普通は誰も邪魔はしないだろうけど、でも批判くらいはされるでしょ。と考えたら、どれほど独善か明瞭。


だから、

自分は科学者である前に一人の社会人である。勿論科学に関する知識はあるので「科学に詳しい個人」としてウソをウソだと指摘しているだけである。

とか

そのうえで、科学の枠内で扱える問題について、間違っているものに対して「間違っている」と指摘する事には何の躊躇いも要らない。それを「傲慢」とか「上から目線」とか言われると少し困ってしまう。科学の土俵に上がってきた相手に対しては全力で対応するのが誠意であり礼儀であると思うからである。このあたりは武道とかスポーツとかの感覚に似ているかもしれない。つまり、真剣勝負の場に上がってきている相手に対して「手加減してくれないなんて優しくない」「思い切りやっつけるなんてひどい」と言うのと同じ様な感じである。
増してや、科学のルールを無視して土俵に上がり込む様な輩や、ルールに従っている振りをして陰でインチキを行う様な輩は、勝負をする以前の段階でコテンパンにのされるのが当たり前だと思うのだが、如何だろうか。

って考え方、「けしからんものを批判するだけのことが何が悪い」ということで、あんな独善的な開き直りができるってそれがもう問題なの、あんまりよく理解されてないんだよね。ネトウヨ化するのが当たり前なんだよ。


いや、伊勢田先生の議論に従って内部と外部で分けるなら、内部ならドシドシ批判すりゃいいんだ。間違いを叩いて何が悪いって、そうでなければ学問じゃない、でしょう?


でも、いざ外部と対峙するとき、「ウソをウソということの何が悪い」だけではどうにもならない。「害」といい「悪」いうとき、その瞬間に「社会的影響」に関する見積もりを立てないといけなくなるから。これは優先順位問題だけでは切り抜けられない。そういう反省が、たぶん、ない。


この理屈を、もしも科学者のほうに向けられたらどうなるか。誰かが都合よく換骨奪胎して利用するとどうなるか。すっごく怖い社会だと思うよ。たとえば国母君をただバッシングして文句を言うだけでは済まなくなってるかもしれないよ。だって、服装のエチケットだって「間違いを間違いと言って何が悪い」だし、人によってはそこに議論の余地がなかったりするでしょうよ。つまり、「正しい」という過度の確信が一線を越えさせてる。ニセ科学批判が抱えてる怖さって、こういう怖さ。



ついでに言うと、

つまり、まともな科学者であれば、科学以外の価値観を一概に否定したりしない。そもそも、全ての科学者は科学者である前に一人の人間である。人間を捨てて科学者になったのではない。

ってのも相当胡散くさいというか現実を反映してなくて、建前としてはそうだけど実際はそうとも言い切れない部分があるよ。ブコメ見てたってそうだし。やめようよ。この手の建前と現実の乖離。