ニセ科学批判の立場にたつならば。。。

ホメオパシーを批判するのに日本も海外もない。なぜなら、原理的に非科学的なんだから、実際に有効かどうかはあまり関係がない。
良心的なホメオパシー - NATROMの日記
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(しかし、このブコメ群はひどい。ホメオパシーはカルトだのなんだの言ってたのは誰なんだって)

以前書いたように、ヨーロッパでは代替医療として結構根付いていて、日本のニセ科学批判が言ってるような批判は変だと言ってきた。


ただ、ニセ科学批判の立場にたってみると、海外の批判も日本のそれとかなり似たようなものになるのが普通みたいではある。たとえば、これ。
homeopathy - The Skeptic's Dictionary - Skepdic.com

The main harm from classical homeopathy is not likely to come from its remedies, which are probably safe because they are inert

One potential danger is in the encouragement to self-diagnosis and treatment. Another danger lurks in not getting proper treatment by a science-trained medical doctor in those cases where the patient could be helped by such treatment, such as for a bladder or yeast infection, asthma, or cancer.

この部分は、日本も海外もたいして差がないというか、似たようなことを言ってなかったっけな。結局、批判の筋としてはどこでも同じようなもんらしい。


じゃどうするかというと、もし日本にホメオパシーを持ち込むなら、ヨーロッパの真似をしてきちんと規制してやればいいんじゃないの、今みたいな野放しよりましなんじゃないの、で、おしまい。いくら日本のホメオパシーの団体がトンデモだからとはいえ、規制を受けてしまえばそこに制約されて、反科学的性格は薄まらざるを得ない。


つまり、日本の団体が危険なんだという批判は、実際のところ「日本」に国籍を限定してしまう意味がほとんどない。ホメオパシー批判として、あまり有効に機能しないんである。(そういえば、新型インフルエンザが出た時に見た批判も、あれもアメリカの事例に対する批判・反応だったから、「日本の」と限定する理由は全くなくて、ホメオパシーの性格そのものはどこでも似てるんでしょう)


本来、ニセ科学批判が日ごろ言っていることを敷衍すると、良心的なホメオパシーとかいうものは一切成り立ち得ない。科学的根拠がないもので、一般人を騙してボッタクってる詐欺だというのは、ホメオパシーにだって当てはまる。


これは漢方絡みの話でも同じで、ニセ科学批判の立場に純粋にたつなら、保険適用外にするのが当たり前、以上、で終わっちゃうんだと思う。



規制すれば片が付く問題をことさら大きく扱ってるんじゃないの、という疑問は、次のエントリでも同じ。
ホメオパシー治療によるヒ素中毒 - NATROMの日記
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インドにおけるホメオパシー規制はよく分からないけれども、どう考えても事情が違いすぎる。インドでは規制が非常にゆるいのだとしたら、それは規制が悪いという話になるだろうし、規制がないのであれば、じゃ、どうするんでしょうね、ということになるんでしょう。


「忘却からの帰還」さんのエントリにあるアメリカの例ではコメント欄とリンクされたエントリがあわせて読まれるべきだ。
嗅覚喪失という副作用のあるホメオパシーレメディに対してFDAが警告・消費者に使用停止と破棄を勧告: 忘却からの帰還

表題の内容ですが、亜鉛製剤は確かにアメリカ中に売っており、私も(ホメオパシーのレメディという表記に気づかず、)購入して使用したことがあります。私のブログでその顛末が記されていますが、私の理解ではこれらの商品がホメオパシーレメディを名乗るのは実際にホメオパシー商品だからなのではなく、FDAの認可が他の種の商品に比べて甘いからなのではないか、と考えています。(高濃度の亜鉛を含むという点で通常のレメディとは違う気がしますし)

ホメオパシーと亜鉛 - Field of Joy
アメリカの例は、ホメオパシーそのものとは基本的に無関係。もちろん、そういう名目で認可が容易におりるのが問題だという批判はできるけど、それは別の話。やはり、規制をちゃんとしましょうという問題にすぎない。



見てるとわかるように、「規制する」ということは同時に「存在は認める」ということなので、ニセ科学批判のもつ、非科学的かつ有害なものの存在は認めないという傾向性格と、根本的に矛盾してしまう。で、ニセ科学批判のこういう性格そのものが問題なんだろうと思う。


ネットでこうも簡単にニセ科学批判に釣られるひとが多いのは、理屈ですっぱり割り切れるからでもある。しかも、有害で、危険で、詐欺で、社会悪だから許せない!と煽りはバッチリである。一般人は容易に釣られる。だいたい見てごらん、大学のエライ先生やお医者さんたちがニセ科学批判やってるじゃないか。


・・・なんのことはない、ニセ科学が病気などで脅して、白服を着た肩書きのある人が一般人を釣ってるのと同じことを、ニセ科学批判がやってる。ただそれだけのことだというのが、ニセ科学批判の本当のところなんじゃないかと、僕なんかは思うんだ。そこでニセ科学と同じレベルに下がる必要は全くないのに。


もしやるんだったら、恥も外聞も捨てて団体を作って糾弾しろ、でなければニセ科学批判なんてもっと慎ましいもんであっていいんだと言ってるのは、そういうことでもあるんだな。