「選ばれし少数派」だけで内向きに固まってしまい、外部に対して背を向ける傾向が強まるんじゃないかと。すると、気に入らない情報は精神的遮断機によって自動的に排除してしまうし、それが結果として異論・反論を受け付けない体質につながるのではないかと。

そういう意味では、あまり仲間が増えてしまうのは好ましくなくて、むしろ「世間からは冷たい目で見られて後ろ指を指されているけれども、実は自分達の方が正しいんだもんね」という図式の方が、組織の維持には都合が良さそう。

ニセ科学のことでも、ニセ科学批判のことでもない。「護憲派」のこと。
Kojii.net - Opinion : 内向きと外向き (2009/9/28)

そもそもの発端は、「どうして、平和主義者ってむやみに攻撃的な態度をとるんだろう ?」という話だった。


全員が全員、そうだとは限らないにしても、異論・反論に対する極端な不寛容、あるいは攻撃的な態度は、どう見ても平和的ではない。話し合いで解決を、と主張する人ほど話が通じない。


結局、人間ってこんなものなんだなあ。ニセ科学ニセ科学批判に内在するものもあるけど、その周辺の問題、なんでこんなものの考え方が好きな人がいるか、こんなものの考え方にハマる人がいるか、という問題。

そこで最初に考えたのは、「信条」と「信仰」の違いじゃないかなあ、ということだった。

あんまり正しいと確信しちゃうと「信仰」になっちゃう。中身はあまり関係がない。ネットで仲間つくるとたいていこうなってしまうというか、そういう光景をよく見た。


ニセ科学の場合はそのものが間違っているからこそ、ニセ科学批判の場合は正しすぎるからこそ、自分の正しさをきつく確信する。そのことによって、両者ともども同じ穴に。皮肉なもん。