僕のニセ科学批判に対する態度って簡単で、もっと大人しいもんに、シンプル素朴なもんになって落ち着いてくれってことだけなんだよね。


ホメオパシーネタなんかは特徴的で、非科学的だということと社会としてどう対処すればいいのかは別の話だという部分があるはずで、そこをどう調整してやればいいかが厄介だったりする。


予防接種がとか効果がないとか思考が反科学的だとかどんなに言葉を尽くしても、「よそでは普通にある」と言われたら反論が非常に難しい。ドイツなんかでどうやって普通の医療と共存できてるのだろうかとすごく疑問に感じるけど、逆にいうと共存できるなら全否定は無理だという話になってしまう。つまりは規制の問題で、あとは個人の自己責任。頭痛腹痛熱っぽい、風邪かなという時に利用する程度の話なら、ここまで騒ぎたてるほどのネタでなくなってしまう。


それでもなおホメオパシーが日本で認められることを否定するなら、たぶん「日本にはそのようなものを受け入れる歴史的背景も社会的土壌もありません」としか言いようがなくなるでしょうな。欧米とは違うんだから。でもこんなの科学的根拠でも何でもないですわな。


どっちにしろニセ科学批判とはかなり次元の違う話を持ち出す必要がどうしても出てくるわけだ。科学的であろうが非科学的であろうが、それに対して社会はどう接するかというのは別の問題なんだもの。もちろん、利害の調停もする必要があって、科学の立場だけでどうこうできる問題じゃなかろうと思うし。科学は重要だけど、だからってそれがすべてでもなし。


さらには、
これ、そんな極端な意見かなぁ - 今日の雑談
http://www.cml-office.org/ww-gl/article.php/20080612140807273/print

ただ,もしこの主張に理があるなら,欧米以上に薬漬けの日本では,今後ホメオパシーが広まる素地が十分にあることになってしまうのが困る。

という部分、ホメオパシーだけが悪いんじゃないわね。


こうしてみると、もろに政治なんだよね。つまり利害の衝突。


そのわりに、具体的になんかしろというとたいてい腰が引けるのが不思議。ニセ科学批判の「科学」の部分に逃げる。だけど、ネットで言ってることはもろに政治で、素直素朴な読み手はこれに乗っちゃう。


結局、もうちょっと落ち着いた形になってもらおうとすると、ホメオパシーそのものの問題と社会としてどう受け止めるかという問題、あるいはホメオパシーそのものの問題とそれに付随する問題は分けて考えてやる必要がある。それで批判する範囲を限ったり、次元にあわせて批判しなきゃならない。


この辺をごっちゃにして煽ってて、しかも問題に感じてるのが少なそうなのがニセ科学批判の変なところのひとつで、血液型性格判断は「差別」ってのも、何度も書くけど、本当に差別を受けてる人たちに対して失礼な話だわな。


煽ってる人たちは、なんでこんなことやってんのかなあと思うけどね。ただの善意の人ももちろんいるだろうけどね。それにしては、なんか敵意むき出しだったり、かなりきつかったりするもの。


まあでも、残念だけど、ネットでは敵意丸出しで煽っていく方が受けがいいから、もうどうにもならない。