動機と自己正当化の根拠を分ける

ニセ科学批判と、詐欺だの悪だのと絡めた社会正義との関係についてもうちょっと。


菊池先生の初めのものでもそうだけど、大体のことの発端がこれだったりする。オウム事件とか。動機としてそういうものに疑問を感じて、というのは全く構わないと僕も思う。


ただ、悪を引き起こすからニセ科学はだめだとか詐欺は許せないという話になると、ちょっと待てということになる。


何度も繰り返すが、それは消費者団体とほとんど変わらない。で、ニセ科学批判の人たちが言ってることをとことんまで突き詰めていくと「お前はナチスか(笑)」ということになる。なぜなら、いささかでも非科学的かつ社会に害悪を与えるものは、絶対に認められなくなってしまうから。


それが詐欺にあたるかどうか、社会が許容できないほどの悪かどうか、最終的に判断するのは科学ではないのにもかかわらず。そこで一般市民の倫理や道徳観念でたいていかわそうとするんだけど、それ、そのほうが余計に怖いというのが、分からないのか。そんな世界に、僕は生きていたくない。


したがって、社会正義に関わる部分はあくまでも個人的動機にとどめておくべきであって、ニセ科学批判の自己正当化の根拠にしたり、表だった旗印にするべきではなかった。


ひたすら科学の立場から否定するという控えめな立場に徹しておけば、「科学教」などと揶揄されることはなかったはずなのだ。