善人のふりは悪人よりも冷酷だ

これは書かないつもりだったけど書くことにする。BBCの例の記事でホメオパシーの人のこういう発言があった
BBC NEWS | Health | Homeopathy not a cure, says WHO

Dr Sara Eames, president of the faculty, said people should not be deprived of effective conventional medicines for serious disease.

But she added: "Millions die each year as those affected have no access to these drugs.

"It therefore seems reasonable to consider what beneficial role homeopathy could play.

一読、呆れたのだけど、しばらくして考え直した。


発展途上国や貧困国における医療や医療援助の実態なんて僕は全く知らないけれど、だけど想像でいうならば、、、その地で死病にかかればそれはどうしたって死んでしまう、生きる人はそれでも生きるんだろうと。ホメオパシーは医療ではないかもしれないけれど、もしも安価にそれを受けられるならば、どうせ死ぬなら、それはそれで残される者にとっての納得はあるのかもしれない。一応、医者には見せたんだ、ということで。


もちろん、それがすべていいことだとは思わないし、医療として扱われるなら問題かもしれない。ましてWHOの警告のようにエイズ感染症にかかわることならば、全く有害と言わざるを得ない。あるいは、死ぬ必要がない人も死んでいるかもしれない。現地のお医者さんも迷惑に思っている人は多いだろう。


だけど。


だからホメオパシーはいかんのだとかニセ科学はいけないという議論は、違う。それは、ただ、乏しい医療しか受けられない人々を看板にして、自説を補強しているだけでしかない。


つまり、この問題の本当のところは、ホメオパシーそれ自体にあるのではなく、ある地域ではちゃんとした医療を受けられない人が非常に多いということが問題なのであって、ホメオパシーを批判する材料に実は少しもなっていない。


本当にその地で死に行く人々を救うのは、もっと現実的な力のはずだ。より多くのカネが必要だろう。ヒトも必要だろう。難しい問題もいろいろあるだろう。そういう問題を解決することによってこれらの命は救われるのであって、そういうことなく、たとえただホメオパシーをなくしてみたところで、おそらく別の「ホメオパシー」が入り込むだけに終わる。そして、それはそれで理のあることでもあって、それがいけないと簡単に言えるのは、おそらくは先進国で贅沢に暮らす人間のおごりにすぎない。


でなければ、ニセ科学批判の人たちは、貧困国の人たちがまともな医療を受けられるようにカネを出すのだろうか、医師として現地に行くのだろうか。さらに援助を行う社会的コンセンサスが簡単にできるのだろうか。


ようするに、こういう例を持ち出すことによってホメオパシーを悪だとあげつらうわけだけど、それは今死んでいく人を看板にして自分の主張に利用しているだけにすぎない。まさに、社会正義に乗っかっていい気持になっているだけだ。


そう考えると、こんな残酷な話はない。例にあげられる社会悪が大きければ大きいほど、それに反対して善人のポーズをとっていさえすれば、なんとなくそれで説得力が生まれてしまうのだから。逆に、看板に利用される人たちの方はたまったものではない。


僕自身は、こういう問題に対して何もできない。せいぜい折を見て、たとえわずかでも寄付をするくらいのことしかできないだろう。そして、今、現に死んでいく人たちに対して、まったく無力であることに耐えるしかないのだろう。それが、幸運にも先進国の人間として生まれた者のせめてもの良心なんじゃないか。もっとアクティブな考えを持つとしても、その一線は弁えておくべきだと僕は思う。


最近では、ナイチンゲールの口の悪さを持ち出して、自分たちの「批判」の激しさをも正当化し始めているわけだが、これがいかに似て非なるもので、19世紀の傑女にいかに失礼な話かということは、こういう面からも言える。


自分の無力さという罪を何か別のものになすりつけたり、あるいは自己主張のための看板として弱い者を利用して吠えることのバカバカしさを、ニセ科学批判の人たち(に限らないが)は痛感すべきなのだろう。