「自分は正しい」

ホメオパシーのことをちと書いて、やっぱり日本のニセ科学批判はダメだと改めて思った。以前と同じことを書くけど、ニセ科学批判をダメにした根本は、詐欺だとか人の命がといった部分に触れることにありそうだ。


ホメオパシーで言えば、あれが社会に対する悪を助長すると言い出すのであるなら、ではその悪の部分を取り除きさえすれば、ホメオパシーそのものの存在は認められるのですね、という理屈になってしまう。エイズにはホメオパシーは効かないので使うな、とは言えても、だからホメオパシーは全部だめだとは言えないのはその辺の問題のはずで、ところが実際にはニセ科学批判の人たちはホメオパシーの存在そのものを全否定せんとする。存在の全否定のためには、理屈だけでいうと本当はこの悪の部分は「たいして」役に立たない


この手の悪を持ち出すなら、それはそこに限定して対処をしなければならないことになるはずで、科学の範疇とは別に、政治や行政のカテゴリーに入ってしまうだろうとは、ずっと書いてきたところである。


ところが、ニセ科学批判にはこういう飛躍があるのに、ニセ科学が社会に与える悪を持ち出して、それを根拠に加えて「そのニセ科学の存在そのものを否定する」という方向に行く、あるいはニセ科学批判の自己正当化に走る傾向が非常に強い。つまり、自己正当化する過程でそこが飛躍になっているわけなんだが、やってる本人たちは飛躍だとは思ってない。


なぜなら、ニセ科学が科学として間違ってるのは明瞭であり、それを指摘し批判することは正しいことであり、またニセ科学を商売に利用し他人に被害を与えるなどということは認められないからである、と信じているからだ。そこに飛躍があるとはとても思い到らない。自分たちは「正しい」んだから。


僕がニセ科学批判のこの「自分は正しい意識」を胡散臭く思うのは、これも繰り返しになるけれど、かつてのネット右翼が全く同じことをやっていたからだ。ネット右翼だけじゃない、結構どこにでも見られる現象でもあって、なぜかはよく分からないけれども、ネットの言説は「これが正しい」となるとそれにワッと群がる空気があるらしく(ネットだけではないかもしれないが)、ニセ科学批判もその延長線上にあると見ればきれいに説明がついてしまう。


本当なら、ニセ科学批判のあるべき姿は、科学の立場からそのニセ科学がいかに間違っていて信用に足るものではないかを示しさえすれば十分のはずのものであって、別に詐欺がとか人の命がなどと大上段に構える必要はどこにもなかった。言うとしても、それはそういう側面があるとして二次的な問題であって、より重要な根本問題としては科学としていかにおかしいかということのはずだ。


それでもなお大上段に構えるなら、現実を動かす努力が必要となってくるはずであって、ホメオパシーネタなら当該の医師たちの医師免許を剥奪するなり、ホメオパシーの利用を認めないと医学会が公式見解を出すなりすると、方法はいくらでも出てくる。ところが、そういう方向にはならずに、ホメオパシーの存在の全否定になってしまうのは、ずれているとしか言えない。


それに、ネットでいくら吠えたところで現実には何ともならないのは、何度も書いてきたところである。


にもかかわらず、ニセ科学が社会に与える悪を持ち出して正当化するのは、単純に、ニセ科学批判の人たちの心の不安の表れに過ぎない。不安だから、物足りないから、だから大きく出る。みんなそうだそうだと納得する。それが「正しい」んだから。


こういうことを書き続けているせいか、「ただのストレス発散だ」と開き直りの姿勢を公言している人もちょっと見つけたけど、そうなると今度は開き直ればいいというもんでもないんだよと言いたくなる書きぶりだった。ま、それはそれ。いずれにせよ、「自分は正しい」に乗っかる人たちほど怖いものはないと思う。